コロナからの新しい生活!

子供たちの進学、転勤、新生活スタートのはずが、緊急事態宣言でひきこもり新生活スタート

引越した先で、物をどこにしまうか;引越時の夫婦危機

今度、同じ敷地内で、違う間取りの部屋に移動する。

 新しい引越先の間取りを、詳細に引越前から知れるなんて、ラッキー。

今部屋に収まっているものを、そのままどこに置くかを

引越前から考えることが出来る。

 

今回の難関は、

・押入れが1つ減る

・押入れケースを8つ積み重ねている、床の間のような部分がなくなる

・靴や非常袋を突っ込んでいる入り口横の物置がなくなる。

・ステレオや子供たちのゲームルームとなっている、仕切ることのできる小部屋がなくなる。

という、4点。

新しい間取りは、細々と仕切られたところや物置ルームとなっていた部分が大幅に減った分、だだっ広いリビングルームと広くなった洗面所や玄関がある。

キッチンは別になっていて、ダイニングとリビングが一緒になった。

 

すっきりと、掃除しやすい生活をするには、

「荷物が出しっぱなしで床に散乱!」ということを防ぎたいので、

不用品を処分する必用がある。

物の置き場所を、家族のだれもが分かりやすい形、戻しやすい形で

整理整頓したい。

今ある、埃を新しいところに持ちこみたくない、

それが今の目標。

 

今回1番最初にやったことは、

部屋割りと、

「押入れ1つ分の荷物と、8個の押入れケーズをどこに置くか」の配置決め。

今回の引越を期に、子供たちが「私と別の個人部屋が欲しい」というので、

1番広い部屋を2人でシェアしてもらうことにした。

「ベットが欲しい」というので、2段ベットか2つのベットを置いても大丈夫なように、「子供たちのものだけをその部屋に置く」ようにする。

幸い、彼らの荷物は私が処分しまくっているので、そんなにないが、

子供部屋に押し込んでいた家族の共用家具が他の部屋に押し出される。

 

残り2つの個人部屋は、

夫が1部屋、私と家族の物置場がもう1部屋となる。

私の荷物は押入れの半分に収め、家族共用の物置き場を確保しなければならない。

 

夫の部屋は6畳+押入れ+少しだけの床の間になる。

今の部屋は6畳+押入れ+約2畳分板の間。

そこに、大きなベット、大量の物、衣服、本を詰め込んでいる。

本棚のようなものや、飾りたなのようなものを使い、

立体的に、大量なものをため込んでいる。

現在は、夫の持ち物である、大型の婚礼ダンスやステレオ、CDタワーDVDタワー

靴や化粧品のストックは、家族との共有空間にはみ出している。

それを今回は1つの部屋に収めてほしい。

 

夫の”大型ベット”と”婚礼ダンス”をどうにか一緒に6畳に収まらないか、配置を考えた。

ぎりぎりいけそうだ。

狭くなって、他の物がどうしても入りきらないなら、

”靴箱は全部夫の靴を置いてよい”

”ステレオ、CDタワー、DVDタワーは、リビングの隅に置くことを許可する。”

しかし、本は・・・リビングに置きたくない。

夫は、管理出来ないほどに大量に物を集めるので、埃をかぶり、ダニがわく。

こまめに私が掃除すればいいのだろうけれど、

家族共有の物でもないものを、手間暇かけて掃除させられると、

私がイライラして、しょうがない。

夫の物は、私が勝手に処分したり数を減らしたりすることが出来ない。

私から見ると、見るからに価値のないものを大事に保管するのだから、

イライラMAX。

結婚以来、何度も繰り返したバトル。

勝手に廃棄したり、処分を勧めたりすると、機嫌が悪くなるので、

「見て見ぬふりをする」「触らないようにする」

「視界に入らないように工夫する」ことを覚えた。

すると、誰も掃除しないので、埃がたまり、彼の物の側に近づくと、

私はくしゃみが出て、目がかゆくなるようになった。

だから、夫の部屋には足を踏み入れない。

しかし、夫の物が家族の共有空間にはみ出してくると、

彼がいない時も、絶えず夫の存在感が滲み出てきて、

無性に腹が立ってしょうがなくなる。

イライラして、 家を出ていきたくなる。

  

長年連れ添って、何度もぶつかって、嫌な思いをして、

相手の領域を侵さないことを学んで、

どうにか、相容れないお互いの価値観衝突を避け、

その中でも自分の居場所を確保し、

見て見ぬふりをすることで、

「家族」「夫婦」という形をかろうじてキープしてきたのに、

それが崩れると、

「自分が出ていくか」「相手を倒すか」の二択になってしまう。

・・それはよくない。

 

毎回引越作業を通して、1度はぶち切れ、

衝動的に、後先考えずに、なにもかも投げ出して、家を出ていきたくなる私。

 

お互い協力しあうコミュニケーションが皆無な関係なので、

危機に弱いのです。

今回は大丈夫かな?

 

現在、引越先に、ごみや埃を持ちこみたくないので、

夫以外の部屋の荷物は、断捨離したり、掃除したり、

引越作業を一生懸命すすめています。

夫は平日仕事があるので、今週末は引越前の貴重な休日。

 「BOOKOFF取りに来てもらうから、要らない本あったら、一緒に処分するよ~!」

 「ブランディアだすから、ブランドもの衣服処分にもったいないと感じたら、

ここにだしておいて~!」なんどか声掛けします。

しかし、ソファーから動かず、いつもの週末です。

私が担当しているものより、彼の部屋に収まっている物は大変な量なのに、

「引越準備は1日で済む」と言って、今は何もするつもりはないようです。

毎回、引越前夜に徹夜同然で箱詰めしなければならず、

一つ一つ掃除なんてする暇がないので、

埃の積み重なったまま、本やレコードを箱詰め、

引越先では、「箱を開封しなければ寝る場所がない」から、

また、掃除する暇もなく、ただ開封して、中身を棚に並べていく。

そんなことを何度も繰り返し、

彼の収集品は、数十年前からの埃がはりつき、

触るのが怖い状態になっているのです。

 

さて今回は、

彼の部屋の大型家具を組み立てるのに、

彼の部屋に大量の段ボール箱を運んでもらうことが出来ません。

リビングに段ボール箱を積み重ねるしか、置き場所はないでしょう。

重たい本やCD類は、箱のまま動かすと腰痛の原因。

リビングで開封して、部屋に持ち込むことに・・。

引越から何週間とそのままにされたら、

イライラしすぎて、結局、私がやりそうです。

い・や・で・す。絶対に嫌。

「家族3人分+共有のもの」をすべて私が担っているのに、

さらに「夫の物」、しかも、「夫の趣味の領域の物」まで

私に担わせるの?いや、それは、ゆるせません。

しかし、引越が平日であった場合、

箱詰めできていない、まったく引っ越し準備の出来ていない部屋で、

業者さんに頭を下げながら、当日箱詰めするのは、結局、私なのです。

 

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エヴァンゲリオンを見に行きたい」

そんな子供の何気ない一言に、「週末いこうか?」と予約しようとしている夫。

 

はぁ?引越予定日ですが・・!!!

 

「たった4時間いなくなるだけじゃない・・、それくらい僕たちがいなくたって、引越できるよ」

 

はぁ???なめてるんですか???

2トントラック分の荷物の移動ですが?

また、人任せにして、逃げるのですか?

 

そりゃ、あんたは、これまでも丸投げして、

毎回、私が離婚して家出ようかしら・・と本気で考えるほど、

追い詰められて、疲労困憊で、死にかけている引越作業を

「飲み会だ」「お別れ会だ」と、深夜遅くまで飲み倒し、

作業はママに任せて、子供の世話は僕が‥と遊びに行ってましたけど・・?

 

子供たちはもう大きくなりました。

引越作業の邪魔にならないように、お外に連れ出すのではなく、

彼らも重要なお手伝い要員なのです。

重いものを運んだり、動かしたりするのに、充分任せられる年頃なのです。

こんな父親の姿をロー・モデルとして育ってしまったら、

今の世の中、お嫁さんからだけでなく、

義家族から、社会からも、「つまはじき」です。

 

「稼いでいるから、それ、僕の仕事じゃないもん」ですか?

それは、稼げてるあなたの年代までは、ぎりぎり許されているかもしれないけれども、

子供たちの世代が、あなたと同じような努力と運で、同じような給料や待遇をえることは、まずない世の中でしょう?

彼らが、非難されて、排除されないよう、まともな人間関係を作れるよう・・

時代にあった感覚を学べるよう、

家族として、影響を与えるのならば、あなたも少し変わってもらわなければ、

うちの家族の男は皆、みじめな老後をおくる人になってしまいそうです。

  

迷いながらの断捨離

今後の自分の生活をかなりクリアに見ることが出来て、

現在の自分の生活に何が必要か、

今後なくてよいものは何か?

そういったロジックをしっかり持ったうえで、

断捨離の物に立ち向かう。

 

発達障害気味の私には、

物の整理や管理が難関。

 

頭のメモリが少ないので、

目に見えないものは、ないもの。

しっかり片付けすぎると、必要な時に物が出てこない。

持っていることも、忘れてしまう。

 

だから、部屋の中で、大体この辺を探せば、

探し物が出てくる・・といった、ざっくり区分けしかできなくて、

物は、

棚など、パッと見て、目につく形で整理していなければ、

何を持っているか忘れてしまう。

 

今の生活に必要なものは、すごく少なくてシンプル。

寝て、洗濯、調理、入浴、スポーツジム、パートぐらいしかないので、

人の目を気にした、お出かけ用の着かざる物、化粧、

イベントに合わせた小道具、衣装などは必要ない。

 

子供たちも、今のところ、一人暮らしをすることもなさそうだ。

いずれは、一人暮らし、おつきあい、結婚、孫を連れての帰省など、

沢山のイベントがあるだろうけど、

息子だから、べったりすることもないだろう。

 

通院や親の介護、夫との二人暮らし、一人暮らしなどを考えなければならない。

 

今後が、華やかで、移動距離や出会いが満載の人生とはならないと思う。

 

荷物を軽く、生活レベルを下げて、

何にでも対応できるようにしたいと考えているけれども、

荷物を整理し、捨てようとすると、

なかなか難しい。

 

狭い部屋で必要なものは、簡単に取捨選択できるのだ。

 

この1年間、触らなかったものは、やはり必要ないものだし、

必要な物は、このコロナの生活下でも、きちんと購入したり、使ったりしている。

 

問題は、

この1年間で使わなかったものだ。

押入れの奥底や、外の物置にぎっしり入っているダンボールの中の物たち。

 

捨て去るには、かなりの意気込みが必要になる。

 

前回の引っ越しで、生き延びたものなのだ。

「今後、使う未来があるかもしれない」

 

子供の一人暮らし、夫の単身赴任で使用できるような家電。

 

もう買うような生活はできないだろう、高級食器。

 

今後、始めるかもしれない、趣味のもの。

子供の物も含め、今は全然興味を示していないけど、

また再び、はじめるかもしれない、電子ピアノ、ロボット作り、社交ダンス、

語学学習、依然買ったものがそのまま使えるかもしれない。

 

そんなものを置いておくスペースがない。

外の物置は、湿気があり、

あとで使えなくなるかもしれない。

 

以前なら、実家に置かせてもらったりするけれども、

実家の親の荷物を断捨離しなければならないのに、

遠くに置いておくのも、なんか違う。

 

中を開け、状態を確認、使えなくなっているものは廃棄。

それ以外は、ビニールに梱包して、湿気対策して、

ダメになったら、捨てようと決めて、外の物置に置くことにした。

 

一人暮らしの家電は、

一番安い値段をチェックし、それを取っておく価値があるか考えた。

湿気るかもしれない物置に、あと1年は確実に置いたままになるから、

そのあと、壊れて、火が出たりするかもしれないと考えたら、

やはり捨てようと思った。

 

今、使用できるのだから、

この春、新しい生活を始める人たちが買ってくれるのでは?と思い、

一旦捨てたものを、再度拾おうとした。

 

送料を考えると、

近くの中古販売屋さんに持ち込んだほうがいい。

そのホームページをみると、

買取り条件が詳しく書いてあった。

どういうところをチェックし、

条件はなにか・・。

 

それを自分で当てはめて、

やはり捨てるべきだと再確認できた。

 

今度、家族が一人暮らしをするときは、

その中古で買えばいいのだ。

結構、条件が厳しく、

○年以内とか、新品のみとか

この条件で、明日くなった中古が手に入るのなら、

安心して物色できるな‥と買い手としても

新たな視点が感じられた。

 

今回、買おうと計画しているものも、

この中古屋さんを覗いてみようと思い始めた。

 

さぁ、断捨離はある程度おわった。

あとは、整理整頓だ。

 

新品や未開封のものを

捨てるのは、

すごく嫌だ。

自分の買い物だったら、

この嫌な気持ちを、次回の買い物にいかせるけれども、

大体は、買い物フリークの夫の物だ。

 

夫に言えば、「とっておく」と言い出すので、

もっと、面倒になる。

 

夫に、この嫌な気持ちを感じてもらい、

次の買い物に生かしてもらいたいけれど、

それが出来ない。

 

だから、彼の無駄買いは治らない。

理不尽だ。

 

廃棄するもの、残すもの

何を捨てるか、残すのか?の判断は、ぶれる。

「もったいない」意識が高いので、

捨てずに、どうにか役立てないか?

将来使うことは出来ないか?

誰かに喜んでもらえないか?

捨てるべきものを前に、

そんなことが頭をよぎって、ついつい「使っていないけど、残すもの」と分別してしまう。

 

明らかに、賞味期限が切れている食べ物も、

「まだ、使おうと思ったら、使えるのでは?」

と考えてしまいがちだけれども、

「賞味期限が切れるまで、使い終わらなかった」ものは、

そういうことだ。

お店で、新しい味を求め、手にしてしまったけれど、

そんなにたくさん必要なかったということだ。

お土産で、買ってしまった、そこでしか入らない、特別な調味料は、

持って帰って使わないのなら、

今度は、旅先で出会っても、買う必要のないもの。

 

旅先で、美味しかった食料が、

家に持ち帰って、美味しいと思ったことはあまりない。

旅の余韻が残っているうちに食べきることが出来る、数日で食べ終わる量がちょうどいいようだ。

 

人にあげるもの、人からもらうものは、

その気持ちだけがうれしいので、

消えてなくなるものがいい。

ただで、良いものもらうと嬉しいけれど、

もらったその場の気持ちで、

その物の役割は終わっている。

無理して使おうと思わなくていい。

 

人の思いの、こもったものは、捨てにくい。

それが、真にこちらの健康や繁栄を祈ってくれているものだったりすると、特に。

 

私の両親が、孫の初節句に、大きなガラスケーズに入った

破魔弓を買ってくれた。

狭いアパートに住んでいる私達の住居に突然送ってきたのだ。

 

出産当初、お互いの両親にとっての初孫で、

どちらの家が、何を買うのか?

昔のしきたりでは、妻の親が買うらしいけれど、

そんなしきたりのない、夫の両親は、

イベントごとに、母方から高価な贈り物が届くので、

恐縮してばかり。

節句の「かぶと」と「こいのぼり」は、

「うちが買います、うちの初孫ですから・・」みたいな通告を受け、

何も買えない・・

悶々としながら、思いついたのが、「破魔弓」だったらしい。

 

社宅暮らしを経験したことのある、夫の両親は、

「コンパクトさ」を重視し、

純金で覆われた飾りのついた、小さめの兜を送ってきた。

天袋に収納しても場所を取らず、

これは、毎年、玄関に飾っている。

一方、こいのぼりは、残念なやつで、

コンパクトさを重視したばかりに、

床の間に飾れ、室内でも、こいのぼりがはためくように、

突っ張り棒に鯉をはためかせた、

お値段の割に、残念過ぎる、ちゃっちいものでした。

飾るのが恥ずかしくて、数年でゴミ箱行きになりました。

 

それに張り合った、私の両親(主に、母)は、

結構な大きさの、見栄えのする破魔弓(10万近くするらしい)を購入。

 

受け取った私に、「小さな子供のいる狭い家で、こんなガラスケーズに入ったもの、どこに飾れるんや~!!返してきて!!」と大激怒されてしまいました。

 

お金10万なら、心からありがたく思えるけど、

捨てるわけにもいかん、飾ることも出来ん、狭い収納のスペースを占め、デットスペース化してしまう、「破魔弓」。

 

おじいちゃん、ばあちゃんの孫への愛情、気持ちを考えると、

捨てることも出来ず、

引っ越しのたびに、どこに置こう!と頭を悩ませ、

壊れもので、高価なものなので、

外の物置にも置くことも出来ず、

売ることも出来ず、

一度も、飾ることもなく、

ただ、迷惑な物体として、

転居を繰り返しています。

 

ここまで子供たちが、病気もせず、

元気に育ったのは、破魔弓のおかげと思うと、

捨てることが、今度は怖くなり、

つきまとってきます。

 

子供たちが成人しても、

孫の成長を祈って・・と捨てきれないのですが、

お嫁さんの大激怒を思うと、

渡すことも出来ず、

孫の健やかな成長を祈って、

私が持ち歩くことになるのかしら?

 

きっと、女の子だったら、お雛様・・ですね。

こういうのは・・。

 

生活スタイルが違ってきたから、

孫の健やかな成長をいのってくれるのなら、

「教育資金贈与」のほうが、嬉しい。

 

こいのぼりやひな人形のイベントは、

100均の飾りや

子供たちの幼稚園の制作物で、充分。

手の込んだ、ご飯を作る、小さな食卓で、充分だ。

 

生活スタイルが激変することで、

昔大事にしていたものが、

不用品になる。

 

親が亡くなった時に、

実家の断捨離をしたら、

私は何を残し、何を捨てるだろうか?

 

親の存在は、

心のよりどころになっていて、

実家の家が亡くなることは寂しいし、

その家の中にぎっしり詰まっている、幼いころの思い出は、

捨てることが出来ない。

しかし、

親が私たちの介助が必要な状態になった時、

多くの物は、介助の妨げにしかならず、

すっきり、暮らしてくれていたほうが、

火事や転倒けがの心配をしなくて済む。

遠方に住んでいて、

他人の介助サービスなどで支えてもらう時は、

家のどこになにがあるのか、すっきりした家でないと、

本当に困る。

 

年を取り、いろいろなことが分からなくなり、出来なくなっなったら、

物を捨てる不安に打ち勝つことは難しい。

 

最後まで、自宅で、あるていど自由に過ごさせてあげたいなら、

在宅サービスの組み合わせと、

遠くからのサービス管理を家族がしてあげなくてはならない。

 

金銭面の流れを管理し、

亡くなった後の、住居のことまで考えておく。

 

どの家を残し、どの家を廃棄するのか。

売買するには、古い家は解体するのか?

解体した後の土地は、売れるのか?駐車場として収支は出るのか?

 

解体するのであれば、無理に家具を粗大ごみに出さなくても、

大丈夫。

荷物も、好きなだけため込んでも、

親の好きなように、暮らしていたら、

最後は、業者に廃棄してもらえる。

 

貴重品と、売れるようなもの、

思い出深いもの(8ミリビデオ)、

自分が同じように年を取った時に、母や父を感じられるようなもの

 

ほとんどの思い出の物は、写真にとれば良しとしよう。

 

そう考えると、だいぶ気分が軽くなった。

 

主人の実家に関しても同じ。

衣類、本、紙類は廃棄。

食器や花器は、イベント遣いの良いものだけ、キープ。

良いものを見極める力のない私は、必要な物はほとんどなく、

親類集めて、欲しいもの持っていかせればいい。

 

家は引き継ぐのなら、

私達が老後過ごすのに、

役に立つものはそのまま置いておいていいけど、

新しい、自分たちの住居としたいので、

古いものはほとんどいらない。

一人暮らしになっても、

そこで住みやすいように、

見た目より、動線重視のものの配置がしたい。

 

そういう風に、考え方が、整理されてくると、

荷物の取捨選択が出来るようになる。

 

今回の引っ越しは最後の社宅暮らし。

 

終身の住居に持ち込むものは、良いものを買ってもいい。

 

子供たちは、独立できるように、

一人暮らしで使えるものを購入。

狭い、ワンルームで暮らせるような家具を。

 

さぁ、考えが整理できたので、

断捨離を始めよう。

 

 

 

 

田舎の豪邸のゴミ屋敷化から、日本の将来を考える

またまたゴミ屋敷片付け動画を見ておもったことを書こうと思う。

 

武家屋敷や旅館のように、部屋数の多い一軒家の片づけを見た。

1階は、住んでいた形跡がある。

キッチンも、仏間も、水回りも、玄関も、

田舎の大きな家のようだ。

ゴミ屋敷と言えるようなものは何もない。

 

処分となると、

沢山のものが収納されていて、

その一つ一つが、良いものだということがわかる。

ゴミとして捨てるのがしのびないものばかり。

 

誰も必要ないものだけれども、

捨ててしまうと、こんなに良いものが手に入ることはもうないだろう

もう、作れないのでは?

あの時代だったから、手に入ったけれど、今はもう、手に入るような値段で売っていないよな?というようなものが、

綺麗に保存されていたりする。

代々受け継いだものであったり、

その家が繁栄していた時代に、手にすることが出来たものであったり

それかといって、

今、この日本の生活環境に必要な物ではなく、

誰か、欲しい!と言ってくれる人が簡単に見つかるわけでもなく、

価値に見合った売買の行える市場は存在しない。

 

小さなものであれば、

怪しげな外国人が買いあさり、発展途上でバブルを満喫している自国に持って帰れば、

高値がつくという時もある。

日本の中古品が質が良いと言われるのは、

古くても、大事に大事に保管し続けてくれたご先祖さまがいたからだ。

 

昔は栄華を誇ったであろう、大きな家も、

晩年は、年老いた人が一人住んでいただけのようだ。

 

ロケーションが悪ければ、

教育を受けた子供たちは、都会に居を構え、

その子供たちの教育を考えると、田舎に帰ってはこない。

田舎には仕事もなければ、学校もないから、しょうがない。

そして、都会で生まれ育った孫たちは、田舎生活に戻ることは出来ない。

 

田舎の大きな家に取り残された老人はどうすればよかったのだろうか?

 

豪華な質の良い備品も、

人が集まらなければ、大きすぎて、高級すぎて、使い勝手の悪いものばかり。

掃除をしようにも、スペースが大きすぎる。

年を取って、使わなくなった部屋を片付けようにも、

大きなもの、重いものが多く、一人では無理だ。

スペースはあるのだから、見て見ぬふりをしながら、

「現状維持」するしかなかったのではないだろうか。

 

田舎の老人の気持ちを推測していると、

「今の日本」のようだなと思った。

 

ネットで世界中がつながり、

これまで吸い上げる必要のなかった、

発展途上の若く、貧しい国の若者たちが

世界のマジョリティになった。

金儲けのためには、

彼らの興味や動向に注意する必要があり、

そこに振り回されることが増えた。

 

長い時間をかけて、

市民化し、社会のルールを守ることや、

秩序を保つこと、

善悪の区別がつき、

人権やグローバルな視点から、判断を下すようになった

先進国の教育のある人々ではない、

もっと、原始レベルの好悪によって、

突き動かされる、エネルギッシュな人々。

 

「人権」という民主国家の弱い部分を突いて入り込み、

「人権」を声高に叫んで、

「差別」という伝家の宝刀を突き付けて、

同じものをよこせ!と迫り、

富やステイタスをかすめ取っていく。

どこまでもくらいつくエネルギーとどん欲さ、

わらわらと湧いてくる数の多さ、

そういったものに、

辟易して、

逃げ、声をあげることを辞め、

追い立てられていく、先進国の元マジョリティたち。

 

世界中で起こっている変化を前に、

老いていく私たちは、

「もう終わった者」として葬り去られようとしている。

 

長い歴史を通して、大事に大事に、受け継ぎ、

つなげてきた「大切な何か」は、

受け継がれることはなく、

消滅すべしと扱われる。

 

ヨーロッパに難民が押し寄せ、

難民が溢れ、無法地帯ができた。

アメリカも、白人の比率が減り、

選挙で勝てなくなった。

 

戦争で侵攻しなくても、

「人権」を片手に、

先進国の内部に入り込み、

崩壊させることは簡単だ。

 

中国や北朝鮮には、入ることが出来ない。

それらの国が強国になる。

 

高齢者をバタバタと殺し、

外に出られなくするコロナが、この流れを加速させた。

 

ウィグルなので人体実験し放題の中国のワクチンは、

欧米のものより効くかもしれない。

 

日本の科学の水準が高いとしても、

長年「ワクチン訴訟」や「ハンセン病訴訟」で、

個の事例に国が振り回される前例を作ってきた日本では、

訴訟リスクが怖くて、

政治は決断が出来ない。

マイナンバー」でさえ、行きわたらせることが出来ないのだ。

世界中が効率化を競い合っている中で、

いつまでも、何も出来ずに、消えていくだけの国になるのか‥。

 

何もないところに、新しい建物を作るのは簡単だ。

しかし、

歴史が積み重なり、

歴史の反省にとらわれ、

身動きできない日本。

 

その姿は、

田舎の大豪邸で朽ち果てていったご老人の姿に重なる。

 

どうすればよかったのだろうか?

 

ご老人は、身体のまだ動く段階で、

今後、子供たちが帰ってこない、

ここに人が集まり、わいわいすることはもうない

と、理解して、

孫たちが小さな頃は、田舎として、

子供が自然を楽しめる環境を

そして、

そのあとは、

人に見せぶらかしたり、

マウント取ったりするための道具はもう必要ないから、

処分する方法を考える。

質が良く、後世に残したいものは、

だれか大事にしてくれそうな人を探す。

死んだらゴミになるし、

持って天国には行けないのだから、

しょうがない。

 

沢山ある部屋も、沢山の木材も、

ないよりまし・・何かの役に立つかも・・と思ってしまうが、

まだ若く、沢山の異質な人と触れ合う幅のある人だったら、

エアービーアンドビーしたり、子供たちを集めたりと、

なにか社会的な活動が出来たかもしれない。

 

・・しかし、犯罪に巻き込まれたり、

乗っ取られたりみたいな、したくない経験をするかもしれない。

 

そう考えると、

やはり招き入れることは出来ないなぁ。

 

年を取ったら、小さな生活が楽だけど、

大きな家をどう処分するか。

引き継いでくれる子孫はいない。

小さな生活にうつったら、

息苦しくて、

住み慣れた、昔の家に戻りたくなるかもしれない。

 

そう考えると、

ゴミ屋敷と呼ばれたが、

今回の人の家のように、

限られた部屋を使って、

1階は綺麗に使い、2階や空き部屋にゴミをため込む

・・そんな生活を私も選択するかもしれない。

 

日本も・・朽ち果ててもしょうがないじゃない・・

と、無駄にあがかず、

どっしり構えて、

寂しさも、貧しさも受け入れ、

生活していく?

 

でも、子供たちや子孫は嫌だよね。

逃げ出していくだろう‥。

 

あ・・今の日本か・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

引越前 荷物手順書

また引っ越しがある。

今度は、同じ敷地内の移動だ。

前回より、楽勝のはず。

 

あらかじめ、新居の間取りやコンセントの位置、清掃状況を確認する時間がある。

同じ地域の移動なので、

買い物する場所もすでに知っている。

 

去年より楽だ!

 

去年は、子供たちの受験やその結果待ち、

既に単身赴任生活の長い夫の住居に合流だったので、

大変だった。

 

自分たちが長年慣れ親しんでいた家具類も、

置き場所がないので持っていけず、

廃棄処分しなければならなかった。

 

まだ使えているものなので、

捨てるのはもったいない。

 

売ろうと試みて、

オークションを見るけど、送料、梱包が面倒。

持ち混みできるハードオフも、

大変な割には、購入してから何年以内という縛りがあるので、

買い取ってもらえなかったり、

ジモピーのような個人やり取りは、ちょっと怖い。

いざ、大きなものを廃棄しようとすると、

引き取り日が限られていたり、

お金がかかったりする。

ぎりぎりまで使用したいものになると、

新居先でいらないのが分かっていても、

捨て場がなくて、転居先まで持っていくことになった。

 

幸い、実家が近く、荷物の仮置き場があったので、

引っ越し業者に、階段を上って、家に持っていかれないように、

駐車場に置いたままにしてくださいとお願いして、

引っ越し後、軽トラをレンタルして、

実家に運び込んだ。

 

うちの引っ越しの難点は、いつも主人の荷物。

退職したら、読む・・という理由で、大量の本を持ち歩く。

毎年すごい量の本を買い込み、捨てず、見える形でとっておきたがる。

 

数十年前の結婚当初は、

本が住居スペースを圧迫し、

ほこりがたまり、古い本は小さなダニのようなものが這っていた。

ダニアレルギーのある私は耐えられず、

読んでない本を、全てリスト化し、「いらないもの」「取っておくけど、すぐに読まないもの」「本棚にならべるもの」に分けてほしいと、お願いしたこともあった。

 

仕事が忙しい彼に配慮して、

全ての本のタイトルをエクセルに落とし込む作業を、

乳児育児の合間にやったのだが、

一瞥して、「すべて必要」と言われた。

 

しょうがないので、

本棚に読みそうなものだけを並べて、

後は、段ボールに箱づめし、天袋や、押入れの奥に入れ込んだ。

箱を開けずに済むように、リストを箱に張り出した。

 

ぎっくり腰で何度か入院したこともある私は、重いものをあまり持ち上げたくはない。

しかし、部屋の一角をずっと占めている状況に耐えられず、

子供が寝ている間に、

本がぎっしりはいったダンボールを天袋にあげていった。

起きだした赤ん坊が足元にまとわりつく状況で、

くるくるまわる不安定な椅子を使って、

押入れの段に片足をかけ、

「よいしょ」と、段のへりに荷重をかけながら、少しずつ、上へ上へと天袋に押し上げていったのだ。

 

数個あげただけで、腰痛発症。

数時間は立っていられない状態になった。

 

今思い出しただけでも、結婚当初の自分は頑張っていた、健気だ。

無理していたとつくづく思う。

 

それなのに、

仕事に忙しい夫が、たまにおとづれた、家でゆっくり過ごせる週末に、

「読みたい本がない」「どこにやった?」と言い出し、

「読みたいときに読めないと困る」と言って、

ワイヤーラックを買い足し、

全ての段ボールを開封、次々と本を並べていった姿を見て、涙が出そうになったこともあった。

 

その後、

本ダニ対策に、そのラックをシーツで覆った。

夫はブツブツ文句を言っていたが、

その近くによるだけで、くしゃみが止まらなくなるのでしょうがなかった。

このワイヤーラックは、夫の寝室に置いたので、

これ以上、私は文句を言うことは出来ず、

地震が起きたら、本がベットに倒れて、埋まるよ」という意見に対しては、

ワイヤーラックを針金で、倒れないように固定された。

固定したといっても、

襖を挟んで、逆側に倒れたら、寝ている私や子供たちが本棚につぶされる状態だったのだけれども、その意見はスルーされた。

 

結婚当初から、

なんでも取っておく夫と、

居住空間を確保したい私との間では、

「処分しろ」「取っておく」のバトルがあり、

その溝は深い。

 

夫は「酒、博打、女」はしないし、仕事も一生懸命やってくれる、

いわゆる「素敵な旦那様」だが、

過重労働の仕事のストレスを、家に持ち込まない代わりに、

真夜中のインターネット買い物で癒す癖がある。

自分のセンスに自信を持っていて、買い物が大好きだ。

 

いつも映画や、インテリア雑誌を読み、

良いものを見極める力があると、私もおもっている。

 

結婚するまでは、

それが「素敵だ」と私も思っていたのだけれど、

いざ、自分が一緒に生活を回す立場になると、

彼が選ぶ「大きな家具」「おしゃれな雑貨」「高価な食器」は扱いにくくて、

嫌だ。

 

こっちは、赤ん坊が足元の縋り付きながら、

座って食べることも出来ない、闘いの最中。

ただでさえ目を離すと何をするか分からない赤ん坊に、ヘトヘトなのに、

「っ、触らないで」「壊れる!」と

子供の魔の手から引き離さないといけないものが沢山あると、

何もできなくて、ストレス倍増!

 

真夜中過ぎに帰ってきて、朝早く仕事に行く夫は、

自分の好きなものに囲まれた空間が

週末のリラックス空間として大切かもしれないが、

その場所に、平日も一日中、幼児と二人っきりで、

閉じ込められているのは私なのだ。

 

そういった新婚期間を経て、

だんだんと、

「夫の大切なもの」「私と子供の生活に不必要なもの」を、

夫の部屋に押し込んでいくようになった。

 

夫の部屋は大量の荷物に圧迫されて、カオス。

部屋に入りきらない荷物を、不機嫌そうに、

共有空間に戻す・・

そのバトルが繰り返され、

最終的には、

もう一部屋を「荷物置き場」としてつぶすことで、落ち着いた。

 

その後、夫が単身赴任になった時は、

転居先のワンルームに入らないと、

季節ものや普段使わないものは、

全て、おきっぱにしていかれたけれど、

一部屋つぶすだけで済んだので、

ほっとした。

 

しかし、子供たちが大きくなり、

それぞれの部屋を欲しがるようになってくると、

部屋が足りなくなった。

思春期の男の子は、私と一緒に寝るのを嫌がりだす。

困った。

 

夫のいない部屋の荷物を、

押入れや大きな家具に押し込み、

家具の間にあいたわずかなスペースに、布団を引いて、

長男が寝るようになった。

可哀そうなくらいに狭いスペースだったけれど、

自分の部屋が出来たと喜んでいた。

 

次男の部屋はどうしても出来なくて、

ごまかしごまかし、私と布団を並べていたけれど、

中学生になり、本気で嫌がるようになったので、

私が、リビング横の共有空間の隅っこに、

布団を引いて寝るようになった。

子どもの友達が遊びに来るのに、

私の布団が隅に畳んであって、

みっともなかったなぁ・・と思う。

 夫の荷物が少なかったら‥こんなことにはならなかったのだけれども‥。

 

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今家族4人で住んでいる住居は、

LDKに1年間、夫が単身赴任で住み、この広々空間を満喫した後に、

合流した。

 

それまで、私達も3LDKに住んでおり、そこに2トントラックにぎっしり詰め込むくらいの荷物を持っていたので、

前回の引っ越しでは、多くの荷物を廃棄、実家へ仮置きしてもらいながら、

どうにか合流した空間になる。

 

幸い、今回は、外にしっかりした作りの物置があったので、

今も、その物置に、箱詰めしたままの、大量の荷物を入れたままになっている。

 

次の引っ越しでは、また間取りも変わり、外の物置がないので、

もうすこし整理したいと思う。

 

私と子供たちは、ずっとせんべい布団で寝ていたが、

そろそろベットが欲しい。

 

夫はダブルの高級ベットに寝ている。

床のほこりを吸うことはない。

アレルギー持ちの私や子供たちは、

黄砂や花粉、ダニのアレルギーを発症。

ベットに寝たい。

 

荷物を減らし、生活空間を確保すること!

それが、今、重要な私のミッションだ!

頑張ろう!

 

 

 

「もったいない」精神と「人に迷惑をかけたくない」

ゴミ屋敷片付け動画をみたり、

引っ越しの物の処分をしたりしていて

感じることがある。

 

「まだ使えるかも」

「だれか欲しい人がいるのでは?」

「あげたら喜んでくれるかも」

「売れるのでは?」

「まだ使えるのに、捨てたらもったいない」

「いつか必要な時があるかも」

 

そういった理由で、

一度手にしたものを手放せずにいる。

そういったものが積み重なって、

押入れをふさぎ、

物置から必要な物が出せず、

掃除が行き届かず、

ほこりが積み重なり、

雑然とした印象を与える生活空間になっている。

 

生活動線は限られ、

いつも心の中で「すっきり暮らしたいなぁ」という言葉が木霊する。

 

一方、「ゴミ屋敷」の住人に対しての視線は、

「人に迷惑をかける人」

「あのような人にはなりたくない」

と突き放したものになる。

 

「孤独に落ち込み、

たった一人で、ゴミに埋もれるように生きながらえてしまっている人」

そういう人に対しての嫌悪感は高い。

 

ゴミ屋敷の片づけ動画を見ていると、

積み重なった大量のごみを上から処理していくと、

地層には、

ゴミがたまり始めた頃の様子が分かるものが出てくる。

 

「分別」しようとしていたらしき痕跡。

ペットボトルを集めた袋、

本を山積みしている一角。

一応、片付けようと試みただろう痕跡があるのだ。

 

「ゴミ収集日に間に合わなかったから、出せなかった。」

「分別がきれいに出来てなくて、持って行ってもらえなかった。」

「管理人に注意された。」

そんなことがきっかけで、部屋の隅に置き始めた袋が、

風景の一つとなって気にならなくなってしまっていったのだろう。

 

分別の細かい地域は、ゴミ一つ出すのにも、

「このゴミは何か?」

「どの袋に入れるべきか?」

「いつ、どこに出すか?」

と悩むことが多い。

 

蛍光灯、電池・・地域によっては、家の近くに出すことが出来ず、

わざわざどこかに捨てに行かなければならないものもある。

 そんなものは、

ゴミが出たからと言って「ポイ!」と出すわけにはいかず、

ある程度たまるまで、家のどこかに収集し続けなければならない。

 

生活を始めるにあたって一番大切なのは、

「家の中から不用品を出すルート」をシステム化することかもしれない。

 

家のことを何もしない息子たちが、一人暮らしを始めるときは、

「ペットボトル」「缶」「弁当などのプラスチック」「可燃ごみ

「紙類」「本」「その他」のゴミを簡単に捨てる場所を作り、

どうやって、いつ、どこに捨てるのか、まず教えなければと思う。

 

家電、家具を買う時は、

どう処分できるかも、頭の隅で考えておきたい。

 

収入不相応に高い買い物だったものは、なかなか捨てにくい。

人からもらったもの、思い出たっぷりなものも捨てにくい。

 

物を売って処分しようとすると、

送料はネックになる。

大きなもの、重い物は、メルカリ、ヤフオクで売りにくい。

ブランドがしっかりしているものは、売りやすいけれども、

偽物、不衛生、機能しない・・など

クレームが発生しやすいものは、新品・未開封に近いものでないと、売りにくい。

 

食器、化粧品、医薬品などは、新品でも開封していると売るのはリスキー。

家電は、ジャンクとして出品したら、部品取りで売れることもあるけれど、運次第。

 

ハードオフやジモピーなど、手渡しで売買すれば、送料はかからないけれど、

対面で人と会うので、それもなんだかな・・と思う。

 

本はブックオフ、ブランド物はブランディアに頼むと、

家にとりに来てくれるので、敷居が低い。

ゴミのような古書を、値段がほとんどつかないのに、

取りに来てくれて、送料代でているのかしら?とおもうこともある。

 

家具は、出来るだけ小さくして、可燃や不燃で出すけれども、

大きなものは、お金を払って、粗大ごみに出すしかない。

結構、大変だ。

大きなものを買う時は、慎重にならなければならない。

家から玄関先に出すだけでも、

一人だったら、死に物狂いだ。

階段や狭い角をけがや青じみなしに抜け出たときは、

歓声をあげたくなる。

 

何度も、引っ越しをやって、

世間の相場を知って、

人の稼ぎをやりくりして暮らす、自分の生活が身について、

ようやく

物を処分できるようになった。

 

一方、仕事をして、稼ぎ、

面倒なことを、お金を払って人にやらせたり、

私にさせたりしてきた夫は、

まだ物を捨てることが出来ない。

 

私が一度捨てようとした、賞味期限が過ぎた食品の山を、

「まだ使う」と自分の部屋にダンボールごと引き込んで、既に1年。

部屋自体が聖域と化して、

私がノータッチで過ごしてきたので、

「初めから1部屋ないもの」として過ごせば、

私もイライラせずに過ごすことは出来るようになったけれども、

また、心機一転、新しい生活を始めようとする引っ越し先に

あのゴミの山を持ちこむのか‥と思うと、少々げんなりする。

 

働いて、その給料で、私達の生活が成り立っているのだから、

感謝して、

今は見て見ぬふりをしてあげるけれど、

そうでなければ、

4人で住む、この狭い生活空間の多くの部分を

夫のものが占めている、

この状況を、腹を立てずに過ごすことは難しい。

 

靴箱の全てが30足以上の夫の靴。

横の収納棚にも、夫の靴が10足。

私が4足、長男が2足、次男が2足。

 

洗面所の化粧品棚も、夫のストック品が溢れ、

私の化粧品は私の部屋に仮置きのまま。

 

新しい場所での縄張り争いでは、

私達もある程度のスペースを確保したいと思う。

さて、頑張るぞ~!!

今日も断捨離だ。 

 

 

 

 

ゴミ屋敷の片づけ動画を見て、断捨離

ゴミ屋敷の片づけ動画を見ながら、

そこに住んでいた人に思いを馳せます。

 

一人暮らしで、貧乏暮らしで、独居だっただろうご老人。

また、

ブランド物に囲まれ、テレビショッピングの箱が未開封で山積み、

トイレや風呂が、カビで使えなくなる状態の家、きっと若い女性。

 

お金があっても、なくても、

丁寧な暮らしが出来るかどうか、その体力、気力が残っているかが重要。

 

年を取って、不幸続きで、

病気でも助けを呼べず、

家と一緒に、土にかえるように、

腐っていく人。

亡くなった後や、施設に救出された後に、

その人の暮らしに思いを馳せながら、誰か親族が片付けなければならない。

本人がいると、

頑固で、手出しが出来ず、

ゴミでないと言い張り、

外から手を出せなかっただろう。

 

今となっては、

業者が、思い入れなく、

ゴミとして、分別しながら、全てを処分していく。

 

お金、貴重品、貴重書類、アルバム、写真、スマホ、カメラだけが救出され、

あとは、可燃ごみ不燃ごみ、リサイクルに分別されていく。

 

地域によるし、業者によるだろうが、

「紙類」「ペットボトル」「缶類」「スプレー缶」「陶器」「ガラス」「コンクリート」「家電」「リサイクル家電」「衣類」「ライター」「木材」「ダンボール」などに分別していた。

 

新品、未開封のものも、開封し、段ボール、ビニール、衣服というように、

素材別に袋詰めして、資源ごみとする。

 

自分でやっていて、時間がかかり、手が止まるのは、

「新品」だと売れるのではないか?いくらしたのに・・。

誰かもらってくれる人がいるのでは?まだ使えるのでは?

など、ゴミとするまでに、何度も躊躇してしまうからだ。

 

ある時は、やる気で「ゴミ」としてビニールに入れていても、

ゴミ日までに目にして、再び拾ってくることも多い。

 

買った時点、使わなくなった時点で、

その物の役割は終わっているのだ。

 

「ブランド」として、他人が手に取るものであれば、売ればいい。

新しく、本物で、他人が欲しいと思うようなものであれば・・。

ブランド物でも、汚れや不具合があれば、

クレーム処理が面倒だし、

送料や手数料を考えると、手間賃にもならないことが多い。

そのまま捨てたほうがはるかに楽。

食料、医薬品、衛生用品は、新品以外はダメだし、

送料のかからず、手間のかからない、「じもぴー」のようなサービスは、

自分がそこからいなくなる時しか、頼めない。

怪しげな無料回収も、へんな人たちとのつながりが出来るリスクを考えると、

お金を払ってでも、処分したほうがよいかもしれない。

 

できるだけ、袋に入る形にして、ゴミとして出す。

重いもの、運ぶのに苦労するものは、業者や粗大ごみのサービスを使う。

 

ゴミとして出すのにもお金や手間がかかるこの世の中で、

安易に買ってはダメだと思う。

重たいもの、大きいもの、分解できないもの、

買う時は、廃棄のことも考えてから慎重に買おうと思う。

 

ゴミ屋敷も、全ての家具を運び出し、

全てのものを処分した後は、

壁と天井、床だけの空間になる。

その人のいた痕跡がなくなる。

 

カーペット、大きな家具、配線はなかなか動かせないものだから、

今度の引っ越しの時も、まずそこは押さえておかなければならないなと思った。

 

一つ一つの小さなところを、

物をすべて取り出し、

その空間を清掃。

そして、取り出したものは、

・そこで使っているもの

・別の場所に移動したほうが使いやすいもの

・一応取っておくもの

・不要なもの(壊れている、未使用)

と分け、一応取っておくものも、そこに置くべきか、別の場所に置くべきか考え、

軽くふいて、使いやすいように、カテゴリー分け、配置し、もどす。

その時、はじめて、見た目の統一感とか、考える。

 

今回、引っ越しだから、

まず、不用品を取り出し、

綺麗に清掃、カテゴリー分けしながら箱詰めして、

新居で、配置、使いやすいように、工夫する

を実践したい。

 

あんまり時間がないけど、頑張るぞ!