50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

家族が亡くなった時しなければならないことのシュミレーション

高齢の両親、義両親が4人健在。

いつ誰かが亡くなったという話に直面してもおかしくない年。

しかも、

このコロナのご時世で、

両親だけでなく、

夫が、自分が!と

まだ心づもりの出来ていない私たちでさえ、

ロシアンルーレットのように

そのリスクが出てきた。

 

親の準備を色々するのは、

あり得る話がゆえに、

縁起でもない!と目をつむり、遠ざけてきた話題ではあるけれど、

そろそろしっかり学び、

知識だけでも整理しておきたい。

 

他人を想定するのは、ドキドキするので、

自分が万が一亡くなった時に、

子供たちが困らないように考えてみる!ということなら、

罪悪感なく、ブログも書いていけるだろうか?

 

ご臨終

悲しみに暮れる暇もなく、

まずは 近親者への連絡

近親者って誰?

私の場合だと、家族、両親、兄弟家族、夫の家族、夫の兄弟家族・・くらいまでが、

この場合当てはまるのだろうか?

遺体の搬送

葬儀などの打ち合わせ

葬儀場どこにするかなんて、全然分からない。

そもそも葬儀が必要なのかさえも‥。

私の場合、家族葬で充分

地元に根付いていないから、友人と言っても、FBでお知らせして、

お悔みメッセージもらうだけで充分

夫の場合は、仕事関係があるから大変そう

私の両親の場合も、地元に根付いているから、

友人や親の親族までも、一応お葬式の連絡なんかはしないといけないんだろうな。

主人の両親に関しては、ここ最近、ずっと自宅から出ないような生活しているから、

そんなに友人はいないだろう。親族に関しても、高齢で亡くなったりしているだろうから、まぁ、一応連絡くらいかな?相続とか絡んでくるところだけは、しっかり連絡入れておかないと、あとあと大変になりそう。しかし、夫が現役の間は、夫の会社関係で、義理や見栄で動く人数もいるので、ちょっと面倒だ。・・・まっ、コロナの今となっては、お葬式もソーシャルディスタンス。こじんまりと、最小限の人数で・・となるだろう。

と、なると、この地元の「家族葬」をやっている葬儀会社からえらぶことになるのかな?

打ち合わせとは、

何人くらい人を呼ぶか?とか、

どれくらいのグレードにするのか?とか、

お返しの品とか、

写真とか、思い出とか・・そんなことを打ち合わせるのだろうか?

 

故人が亡くなって、そのショックもある中で、

写真を選ぶのも、

思い出を語るのも、

結構辛そうな作業。

 

それに付け加えて、

来てくれた方々への心配りや、

故人のステータスを守るために

グレードや今後のお付き合いなんかを考えないといけない商売人や、

代々続く仕事をしているような方々は大変だろうなぁ。

 

でも、うちは関係ないか。

故人のつながりのある会社の方々も、

会社と縁が切れたら関係ない。

面倒なのは、やはり、夫の会社関係者が、

夫の顔を立てるために、

夫の両親の葬儀にわざわざ顔を出すという義理行為を行う場合。

でも、

夫も主要ポストを外れていく身。

ゆくゆくはそんな心配は無用かもしれない。

 

まぁ、後日、この近辺の葬儀会社の資料はちらっと見ておこうとは思う。

 

葬儀の前には、

関係者に連絡を入れなければならない。

 

葬儀に参列するような関係者とはだれか?

 

昔、自治会に社宅の人の亡くなったという知らせをいれなかったら、

あとで叱られた。

 

回覧板で、どこどこの誰が亡くなった、葬儀はいつ・・とか回さなければならなかったらしい。

 

そういえば、時々、緊急回覧板と言って、

次の人がいない場合は、飛び抜かして、次の次の人へ、直接手渡しで回してくださいという回覧板が来る。

それは大抵、葬儀のお知らせだ。

 

でも、自治会の役員を長年して、地域の人の世話をしてきたような人以外は、

わざわざ葬儀に行くこともないと思う。

 

自治会の役員さんが、義理で代表して出かけたりするけれど、

手ぶらで行くわけにもいかず、個人的にいくらか包まなければならないのが大変!と

田舎の母が嘆いていたけれど、

今や、そんなおつきあいはないのでは?

 

回覧板も、家族葬を済ませました!という事後報告ばかり。

 

お互いさまで支えあって、

冠婚葬祭は特別!と、お金を包みあってきた世代は、

高齢になり、

自分自身が外に出られなくなって、

行きたくても子供たちの世話にならなければいけない状態。

その子供たちは、都会で暮らしていて、

密なお付き合いがない状態。

 

もうお互いさまではなくて、

自分が困った時は、

国に頼ったり、NPOなどの地域ネットワークに頼ったり。

 

親族でもそう・・。

親世代は、子供のお年玉や入学、結婚と

お互いお金を包んだり、助け合ったりしてきた。

 

でも私たちの世代は、

一生独身であったり、子供がいなかったり、

そして、

それは個人の選択の自由であって、

親族からとやかく言われるようなものではない。

 

だから、親族の誰かが、その個人の選択の結果、窮乏状態に陥っても、

一蓮托生で、自分の身を削ってでも助けなければならない必要はないのではないだろうか?

 

親族の助け合いネットワークは小さく、小さくなっていく。

地域の助け合いネットワークも小さく小さくなっていく。

 

個人の選択の自由と引き換えに・・。

 

自分の小さな頃を考えると、

子沢山のおじいちゃん、おばあちゃんの家には、

毎週末、その子供の家族が集まり、わいわい過ごした。

子育ては孤立した、寂しいものではなく、

いとこのお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが一緒に遊んで可愛がってくれた。

お父さんたちは、お酒を飲みながら、兄弟で近況を話し、

お母さんたちは、台所で、一緒に料理を作ったり、愚痴を言いあったりしながら、

それをおじいちゃん、おばあちゃんがニコニコ見ていた。

楽しかった。

 

自分の子供たちにはいとこはいなくて、

どちらの実家に帰っても、初孫で

高齢の義両親の家に行っても、

大人たちは子供のエネルギーに翻弄されながら、

ゆっくりくつろぐことも出来ず、

私もキッチンに立ちながら、

一緒に愚痴を言いあう仲間もなく、

ただただお互い、無駄なエネルギーとお金を浪費するだけの帰省になっていた。

 

昔はよかった。

子育てしやすかった。

生活しやすかった。

自由は少ないけれど、

特別な能力のない、弱い人々も、きちんと生活出来る、助け合いがなされていた。

そういうノスタルジーに浸ることもある。

 

だけど、

 

おばあちゃん、おじいちゃんが亡くなって、

相続が発生した時、

長男のお嫁さんが抱えていた闇の部分が見えた。

 

昔は、長男が家長として、全てを相続する代わりに、

兄弟姉妹の面倒を見る義務があった。

 

だから、毎週末、押し寄せてくる兄弟姉妹の家族に

金銭的な負担を求めることなく、

毎週末、刺身をとり、ごちそうを作り、酒を用意した。

 

次々とやってくる兄弟姉妹たちの家族のために、

自分たちののんびり過ごす週末はなく、

お金を出すばかりで、

おじいちゃん、おばあちゃんの介護もすべて担わされた。

 

それなのに、いざ相続が発生すると、

兄弟姉妹は、新民法を盾に、俺たちにももらう権利がある!と主張を始め、

多額の金銭を要求した。

 

親族のつながりを大切に、

兄弟姉妹がお互い助け合って生きるように、

毎週末のお食事会を開いてくれたおじいちゃん、おばあちゃんの気持ちもむなしく、

大祖父の葬儀の後、

長男家族は、つながりを絶った。

 

時代が変わったのだろう。

 

長男のお嫁さんや子供たちと生活していかなければならない長男は、

金銭要求した兄弟姉妹とのつながりを絶たなければ、

自分の居場所がなくなってしまうから、しょうがなかった。

家長父制の中心で、

義務を一身に負い、権利は認められなかった長男の家族には

大きな恨みつらみが募っていたから。

 

だから、今がある。

 

昔のシステムでは、人は動かない。

個人の自由を維持したまま、

相互扶助のシステムを作れないか?

 

そこで出てきたのが、

戦後左翼と言われる人々が理想とした「市民社会」。

 

しかし、それも既得権化し、老害と呼ばれるようになってしまった昔の「若者」たちの、自己中心な行動によって、

他国の干渉を許し、自国や共同体の利益を毀損するのに利用されるだけの存在になってしまった。

 

ネットワークでつながり、

普通の人たちが発信できるようになった現在、

また新しい仕組みが必要になる。

 

葬儀が、家族葬という親族だけのものになり、

知り合い、関係者は、ネットでお悔みや思い出を共有する・・それだけで充分な気がする。

 

故人をとりまく環境、世代の価値観によって、望まれる葬儀の形は違うだろう。

 

古い価値観を背負っているのが故人だけなら、見送る子供世代の感覚にあわせてもよいかもしれない。

 

葬儀は、故人のためというよりも、

それからを生きる、故人の死を乗り越えて生きていかなければならない、故人とつながりの深い家族のためにあるものだから・・。

 

私なら、子供、夫、両親、私の兄弟

夫なら、子供、私、夫の両親、夫の兄弟、、、会社、友人

子供なら、夫、私、二人の両親

私の両親なら、私、私の兄弟、、、両親の兄弟姉妹、同年代の支えあっていた友人、知人

夫の両親なら、夫、夫の兄弟、、、義両親の兄弟姉妹

 

それが関係者。

それぞれに個人によるリストアップがないと、

周囲はどこに、どうやって連絡したらよいのか、全く分からない。

 

私の場合も、一覧にしておこうと思う。