次男に勉強を教えていると、
すぐに腹が立ってくる。
ただ、答えが教えてほしいだけ。
宿題を終わらせたいだけ。
学びや知識を得ることに興味があるのではなく、
やりたくもないけど、やらないと困るため、
やっているだけなので、
頭にはいらないし、
答えを写しているだけ、
作業しているだけの意味のないことになっている。
分からないことがわかる面白さや、
出来ないことが出来るようになりたいという動機づけの部分がないので、
苦役でしかない。
彼は、許されるなら、全ての時間をパソコンゲームや映画やラノベで埋めたいのだ。
友達から聞く話題には興味があるので、
それでいいのかもしえない。
勉強というフィールドには、
彼の興味はないけれど、
下世話な社会には開かれているから。
一方、勉強フィールドではそこそこ評価される兄。
真面目に勉強し、
興味もあるし、
集中も出来る。
しかし、
身の回りの社会や人たちに興味が全くない。
人間関係を作ろうとはしない。
閉じられた、狭い世界で生きている。
どちらも不可に見える。
どちらも未完成で、どちらもダメだと思う。
でも、それがうちの子供たちだ。
社会的な観点からいうと、
受け入れがたく、
ダメ要素ばかり。
しかし、
一応、十何年も大きな病気やけがをせず、ここまで順調に育ってくれて、
優しく、いい子に育った。
感謝しかない。
社会で、人を評価する目。
彼氏を選ぶときも、
結婚相手を探すときも、
企業が採用するときも、
そんな評価する、客観的視点からは、
落第点ばかりをおしてしまい、
子供たちにダメ出しばかりをしてしまう。
しかし、その親からの評価が
彼らに自信を無くさせ、
社会を怖いものと思わせ、閉じこもらせ、
まっすぐと、挑戦する気力や勇気を失わさせてしまっているのだろう・・と
自分の子育てを反省する。
私がそろそろ彼らから一歩離れた場所から彼らを見守らなければならない、
私が彼らを枯らしてしまう・・と思うのは、そういうところだ。
でも
子育てにすべてを費やし、
自分のしたいこと我慢してきたから、
子育てなくなって、
自分のしたいこと、自分のすべきこと、自分の居場所・・ないんだよね。
やりたいことも・・。
子供の未完成部分を見て心配するより、
自分の空っぽさを見つめることのほうが大切みたいな今日この頃。