50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

義理親族とのつきあい

義両親の親族との付き合い、どこまでしないといけないのでしょうか?

自分の親の親族との付き合いを見ていると、

嫁さんはどこまでも自分を差し出さなけえばならないような、辛い立場です。

 

ただ、親と同年代の親族が亡くなった後は、

いとことはいえ、

親同士の付き合いを通してしか、親密なつきあいはなく、

冠婚葬祭くらいでしか、面倒な付き合いがないのも事実。

 

正月の挨拶も、子供の入学祝も、

そんなの日々のぎりぎりの生活には、

痛い出費にしかならないので、

だんだん疎遠になり、

年賀状のやり取りくらいしか

つながりがないのが事実。

 

自分の親族でさえ、そうなので、

バツイチで、そのあと結婚した夫の親族なんて、

兄弟でさえ、この10年間に会ったのは1~2度。

義両親でさえ、年に2回くらい。

 

しかも、他人行儀なのに、

なんだか、偉そうに、こき使われるだけの会合が楽しいわけはなく、

ただ、義理だけでこなしていた関係なので、

義両親が年老いて、介護が必要になったからといって、

親身になれるわけでもなく、

面倒が増えただけの、

避けたい、考えたくない関係。

 

子供は年老いた親の助けになりたいと思うだろうと、

主人がお義母さんべったりなところは、

気にしないようにするとして、

お金をかけようが、

時間をかけようが、

利便を図ろうが、

ご自由に!なのですが、

私が、嫌なのに、無理に「お嫁さん」という向こうに都合のいい仮面をかぶって、

相手の気持ちばかりを慮って、行動することはやめました。

 

頼まれたら、出来ることをするし、

にっちもさっちもいかないほどに、困っているようなら

手を貸すけれども、

「嫁」だから、という理由で、

仮面をかぶることはない。

 

無理して、笑顔の仮面をかぶることもない。

 

自分を大切にしてよいと思うのだ。

自分がしたいと思えば、動くこともあるかもしれない。

 

きちんとつながりがあれば、

困っている人に手を貸すことは嫌ではない。

 

介護を仕事にしているので、

しもの世話、臭い、気が滅入る不衛生、

そんなことを理由に逃げているわけではない。

 

お金が払われる。

対等な契約だから。

そんな

きちんと一人の人間として納得のいく関係ならば、

私は介護も厭わない。

 

嫁だから

家族だから

という理由で、

無制限に、

私の時間やエネルギーを無償労働で費やされて当たり前!

見て見ぬふりされる、逃げ出せない、それが嫌。

 

義理の両親に

自分の生活のほとんどを無償で差し出すような義理。

それは、どこからうまれるのだろうか?

 

専業主婦。

生活の金銭的な部分で、主人に頼っている。

その主人の親だから?

 

なんだか、つきあって、

二つの魂がすり寄っていく過程をすっとばして、

結婚生活が始まって、

きちんと一緒にやっていくつもりはあったし、

分かりあっていけると思っていたのに、

その過程を、拒否されて、

自分のかわりに、

親孝行する駒として、差し出される状態がよくあって、

それで、

なんとなく、あきらめてしまった関係。

 

でも、本気で好きになったり、

自分が不安定なる過程がなかったから、

私でも、この結婚生活が続き、子供が育っていったのは事実であり、

まぁ、彼でなければ、

続かなかっただろうなとも思っている。

 

後先考えて、

自分の気持ちを偽って、

嫁の仮面をかぶるより、

神様のくれたプレゼント、「コロナだから無理」を使って、

このまま自分の気持ちを優先させてみようと思う。