学校や仕事がなくなると、ぽっかりと自由時間だけの日々が始まる。
数日間は、起きる必要のない毎日を
布団の中で、幸せを感じることが出来るのだけれど、
一日中、食べたいときに、食べたいものを食べ、
暇になったら、テレビをつけて、
ワイドショーを垂れ流し、
煽られるままに、ぶつぶつ見知らぬ人への憎悪を募らせ、
たまに
外に出ても、知り合いがいるわけでもなく、
買い物のレジ係の言葉を一方的に聞くだけで、
言葉を発することもなく、
意見を求められることもない。
社交の場に出かけてみても、
自由に使えるお金はほとんどないし、
日々、狭い世界で生きているから、
他人が聞きたがるような話題があるわけでもなく、
それかといって、
他人の自慢話を笑顔で聞き続けるだけの忍耐力もない。
世の中のスピードについていくだけの、体力や頭の回転もなく、
だれからも傷つけられない、ひきこもった生活に安心している自分もいる。
しかし、
学校や職場といった、外からの強制力がなくなると、
自分の生活のルーティンも必要性がないために、
簡単に崩れていく。
眠たいのに、無理して早く起きる必要がない。
寒い日に、温かい布団から出る必要はない。
外に行くわけでもないのに、わざわざ身体をしめるような、気を遣うような服に着替える必要はない。
人に会うわけでもないので、化粧したり、身ぎれいにする必要もない。
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そんなこんなで、めんどくさいことを辞めていくと、
ほんとにすることがなくなる。
自分がなくなる。
仕事を退職し、妻に先立たれ、
地域社会の輪の中にも入れず、
デイケアなどに行くのを拒否している、高齢男性。
家賃収入や企業年金もあって、そこそこ生活には困らないけれど、
子供たちは帰ってこないし、
たった一人で、時間を持て余している・・・そんな人をよく見る。
身体も、心も、頭も使わないから、
だんだん壊れていく。
そんな末路。
使わないものは、使えなくなる。
老化の速度をあげてしまい、
関節も、足腰の筋力も、こわばり、動かなくなっていく。
心からも柔軟性がなくなり、
新しいことや人を許容できず、
かたくなな人間になって、ますます、人が遠ざかる。
そんな風にはなりたくないのだ。
だから、外からの強制力がなくても、
自分にルールを課して、
一日の暮らしをまともなものにしたい。
一日のスケジュールの骨組みを
自分に合った方法で自分に課したい。
外から強制されるものでないから、
自分の嫌なことはしなくていいはずだ。
自分にとって、嫌でなく、出来たら、好ましい方法で、
自分に課していきたい。
まずは、睡眠。
私は眠ることが好き。
夢も好き。
睡眠が少なかったり、睡眠を妨げられるとパフォーマンスが一気に落ちる。
イライラしたり、疲れたり。
だから、きちんと寝る。
夜明かしはしない。
夜中に読み始めた、スマホの小説がやめられなくて、
2時、3時と睡眠がなってしまったことがあった。
寝るぎりぎりまで読むスマホのせいで、
目の下のクマは全然とれない。
眠る直前のスマホを辞めたほうが良いのは分かるけど、
ベットでゆったり何が出来るの?
11時~6時までは睡眠。
10時からは、スマホオフ。
出来るかな?
10時からの一時間は、マッサージしたり、ストレッチしたり、
自分の身体に集中してすごせるかな?
朝6時に起きる。
水を飲む。トイレに行く。そして、
子供の送りがない日は、外を歩く。
そんな朝を迎えたら、
朝ご飯もシャワー、掃除も出来るかも。
昼、夜のごはんの準備をいつも決まった時間に始められたら、
食事もまともになるし、
おやつの時間以外は、間食しないとなれば、
身体もリズムを取り戻すに違いない。
食事中は、スマホをしない。
テレビをつけない。
そんなことを心がけたら、
少しずつ、一日の中に柱が出来ていくのではないだろうか?
子育ても終わり、老いていく未来しか見えない中で、
どう生きるのか?
何をして過ごすのか?
少しずつ、自分の内側から答えを見つけていきたいと思う。