50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

まともな暮らしにするために、まずは一日のタイムスケジュール

学校や仕事がなくなると、ぽっかりと自由時間だけの日々が始まる。

数日間は、起きる必要のない毎日を

布団の中で、幸せを感じることが出来るのだけれど、

一日中、食べたいときに、食べたいものを食べ、

暇になったら、テレビをつけて、

ワイドショーを垂れ流し、

煽られるままに、ぶつぶつ見知らぬ人への憎悪を募らせ、

たまに

外に出ても、知り合いがいるわけでもなく、

買い物のレジ係の言葉を一方的に聞くだけで、

言葉を発することもなく、

意見を求められることもない。

 

社交の場に出かけてみても、

自由に使えるお金はほとんどないし、

日々、狭い世界で生きているから、

他人が聞きたがるような話題があるわけでもなく、

それかといって、

他人の自慢話を笑顔で聞き続けるだけの忍耐力もない。

 

世の中のスピードについていくだけの、体力や頭の回転もなく、

だれからも傷つけられない、ひきこもった生活に安心している自分もいる。

 

しかし、

学校や職場といった、外からの強制力がなくなると、

自分の生活のルーティンも必要性がないために、

簡単に崩れていく。

 

眠たいのに、無理して早く起きる必要がない。

寒い日に、温かい布団から出る必要はない。

外に行くわけでもないのに、わざわざ身体をしめるような、気を遣うような服に着替える必要はない。

人に会うわけでもないので、化粧したり、身ぎれいにする必要もない。

そんなこんなで、めんどくさいことを辞めていくと、

ほんとにすることがなくなる。

自分がなくなる。

 

仕事を退職し、妻に先立たれ、

地域社会の輪の中にも入れず、

デイケアなどに行くのを拒否している、高齢男性。

家賃収入や企業年金もあって、そこそこ生活には困らないけれど、

子供たちは帰ってこないし、

たった一人で、時間を持て余している・・・そんな人をよく見る。

 

身体も、心も、頭も使わないから、

だんだん壊れていく。

そんな末路。

 

使わないものは、使えなくなる。

老化の速度をあげてしまい、

関節も、足腰の筋力も、こわばり、動かなくなっていく。

心からも柔軟性がなくなり、

新しいことや人を許容できず、

かたくなな人間になって、ますます、人が遠ざかる。

 

そんな風にはなりたくないのだ。

 

だから、外からの強制力がなくても、

自分にルールを課して、

一日の暮らしをまともなものにしたい。

 

一日のスケジュールの骨組みを

自分に合った方法で自分に課したい。

 

外から強制されるものでないから、

自分の嫌なことはしなくていいはずだ。

自分にとって、嫌でなく、出来たら、好ましい方法で、

自分に課していきたい。

 

まずは、睡眠。

私は眠ることが好き。

夢も好き。

睡眠が少なかったり、睡眠を妨げられるとパフォーマンスが一気に落ちる。

イライラしたり、疲れたり。

だから、きちんと寝る。

夜明かしはしない。

 

夜中に読み始めた、スマホの小説がやめられなくて、

2時、3時と睡眠がなってしまったことがあった。

寝るぎりぎりまで読むスマホのせいで、

目の下のクマは全然とれない。

 

眠る直前のスマホを辞めたほうが良いのは分かるけど、

ベットでゆったり何が出来るの?

 

11時~6時までは睡眠。

10時からは、スマホオフ。

出来るかな?

10時からの一時間は、マッサージしたり、ストレッチしたり、

自分の身体に集中してすごせるかな?

 

朝6時に起きる。

水を飲む。トイレに行く。そして、

子供の送りがない日は、外を歩く。

 

そんな朝を迎えたら、

朝ご飯もシャワー、掃除も出来るかも。

 

昼、夜のごはんの準備をいつも決まった時間に始められたら、

食事もまともになるし、

おやつの時間以外は、間食しないとなれば、

身体もリズムを取り戻すに違いない。

 

食事中は、スマホをしない。

テレビをつけない。

そんなことを心がけたら、

少しずつ、一日の中に柱が出来ていくのではないだろうか?

 

子育ても終わり、老いていく未来しか見えない中で、

どう生きるのか?

何をして過ごすのか?

 

少しずつ、自分の内側から答えを見つけていきたいと思う。