50年近く生きてきた。
自分の子供に、残念ながら女の子がいないので、
アドバイスはできない。
女性の人生は、
自分の選択によって
進路が様々だ。
若い時に、同じような価値観で、
競い合ったり、迷ったり、笑いあったりしていた友人も、
私と同様に、
その時々で、その後の人生の道を選び取ってきた。
結婚や仕事に関する、それぞれの出会い、
適性、運、努力、願いによって、
さまざまなルートを歩んできた。
時代によって、価値観が変わってきたので、
どういう選択が賢いと思うよ!と
断言することは出来ない。
そして、これから先、
ますます混迷を極める時代の転換期にあって、
男性であっても、女性であっても、
親や祖父母たちの世代のように、
このルートが安全!確実!といったものが、全く存在しない時代にあって、
上から目線で、語ることは出来ないし、
私自身も、これから先、何を選択していけばよいのか、全く分からない、
迷子のような気分になっている。
だけど、これまで見てきたことを語ることは出来ると思う。
私達の親の世代、第一次ベビーブーマーの子育ては、
戦前、戦中の価値観から脱却して、
比較的自由に、お金にも余裕があって、夢や希望に満ち溢れた中で行われた。
皆、同じように、専業主婦で、
井戸端会議をしたり、PTAやパートで近所の人とわいわい言いながら
子供を育ててきた。
倹約しながらも、家事はしっかりやって、
こまごま働きながら、
子供にピアノや習字、英語や塾と通わせながら、
男女区別なく、
教育費をかけてもらった。
父親はモーレツサラリーマンで、家にいないのが当たり前だったけれど、
きちんとお給料をいれてくれたし、
父親も、同僚と飲みに行ったり、釣りやゴルフにいったり
楽しみながら、深夜遅くまで働いていた。
そんな家庭が、日本のいわゆる中流家庭で、
テレビの芸能人やセレブの子育てを見ながら、
子供たちに少しでもよい学校に行って、よい大学に入ってほしいと思っていた。
良い大学に入れれば、
後は何も考えなくても、
良い就職先、良い賃金、安定した生活が続いていると信じることが出来たので、
地方から都会に、子供たちを送り出し、
都会生活を応援してくれた。
私達のちょっと上の世代から、男女平等均等機会法が制定され、
女の人でも、男性と同じように、仕事に生きる道が出来た。
ウーマンリブ!女性の時代ともてはやされた時代で、
女子大生や女子アナにスポットライトが当てられ、
前世代のように、女は腰かけ、お茶くみ要員!という大部分の人たちと違い、
都会の頭の良い、女子大学生は、
男性と同様に第一線で働くことが可能になった。
それから数十年がたち、
女性幹部が出てきて、
男性と同様に、バリバリ働く姿を見てきて、
それに憧れていた、あまり能力のない、私のような女性は、
その生き方もあまり幸せそうでないと思うようになった。
男と同様に働くことが出来たけれど、
女としての幸せを犠牲にしたり、
子供との時間を持てず、家庭や子供にしわ寄せがいった状態で
働き続けている人や、
なにもかも出来る、私と違うスーパーウーマンのような一部の人だけが、
生き残って、働き続けていたからだ。
私のように、特段能力もなく、特別なもののない、普通の女性にとって、
「結婚」は身近な成り上がりの手段であり、
自分の力では届かない、ステイタスや収入、生活を手に入れるチャンスだったので、
自分をより高く買ってもらえて、
よりよい生活が出来る出会いを、若い時は求めていました。
沢山のエリートと出会うチャンスのある接客業やサービス業、
スチュワーデスやアナウンサーは、女子短大生や女子大学生の一番人気の職業だったし、若い時にしか出来ない、華やかな職業だけど、
ハイステイタスの男性に見初められ、
羨ましいくらいのセレブな生活をしている先輩方をみて、
自分のキャリアを必死で磨くより、
結婚によって、ゲットするハイステイタスを羨み、
チャンスを狙うことのほうが、身近で、可能性のあるもののように感じていました。
あれから30年
いろいろな選択をし、たどり着いた今があります。
国際結婚し、私の手の届かない、欧米の一流大学に子供を入学させるような生活をしている友人たち。
子供が産まれても、義父母の手を借りながら、なんとか踏みとどまって、
一流企業のOLをつづけた友人。
早くに退職し、産んだ娘がアイドルになって、再び、華やかな生活に舞い戻った友人。
地元に戻り、ヤンキーとの子供が出来たけど、すぐに離婚し、連絡がつかなくなった友人。
華やかな都会生活をしていたけれど、コロナで仕事がなくなった友人。
若かったあの時期、同じように、将来を夢見て、
何者にもなれる可能性のあった私たちは、
ある時した判断、選択によって、その後の人生を大きく違ったものにする。
何かを手に入れるために、
何かを手放したくなかったために、
別の何かを一生手に入れられず、
別の何かに翻弄されたり、追い詰められたりしながらも、
その時々の人生の浮き沈みを生きていく。
過ぎ去ってしまわなければ、
その選択がよかったのか、悪かったのか?
自分の人生に何をもたらしたのか?は分からない。
今、「女性差別だ!日本の幹部の女性登用が少ないのは、後進国だ!」と声高に叫ばれ、あたかも、女性に生まれたならば、差別されずに、男性と同様に、
仕事でポジションを与えられなければならない!と海外からの圧力がかかっているのだけれど、
実際に、この日本で生きてきた私は、
「日本でよかった」「女性でラッキー」「子育てさせてくれてありがとう」と思っているし、
男性同様に、責任を持たされ、逃げ道をふさがれたような役職には
つきたくないと思っている。
確かに、赤ん坊を産んで、生活が激変して、
誰も孤立育児でノイローゼになりそうな時期はあったけど、
結婚自体が
赤の他人と生活を一緒に始めるのだから、
好きな相手であっても、ストレスだし、
親のように、無条件に甘やかしてくれるわけではなく、
互いに支えあわなければならないのだから、
かなり難しいものだと思う。
そこに、初めて触る、異生物、赤ちゃんがいるのだから、
追い詰められるし、
クタクタになる。
周りには、自分の子供のころのように、井戸端会議で情報交換ができるような共同体はネットにしか存在しないし、
孤独、おせっかいおばさんも皆無。
そんな状況で、イライラもするし、
男性にあたりたくもなる。
パートナーなのに、なんでおまえだけ、普通に生活してんねん!と、
一言いいたくもなるし、切れたくもなる。
しかし、手を出されるのも、
上手にやってくれないと、腹が立つのだ。
一緒にいるのも、別の意味でストレスがたまる。
自分をフリーにしてくれ!
一人で、ゆっくりさせてくれ!
と思っているだけで、
全く同じ責任と義務を、男性に背負わせたいわけでもない。
金銭面の不安は完全に背負ってくれる。
それだけで、
女性は女性で、子育てに集中できるし、
ありがたい。
フェミニストがいうように、
男女の差を全くなくすような社会になったら、
女性は満足か?といえば、
そうではない。
せっかく女性として産まれてきて、ラッキー!と思っていることの一つに、
子供が産める!子育てできる!ということがある。
自分の子供を自分が一番身近で見守ることが出来る。
子育てしながら、一緒に子供の目線で世界を見ることが出来る。
ただ、彼、彼女らの一番近いところにいつもいて、
彼、彼女らの視線にうつり、
にっこり、安心してもらえる!そのことが、どんなに大切で、
幸せなことか?
そういう立場を確保してくれた、これまでの「日本の女性」という立場をありがたく思っている。
災害や防衛、命を懸けて24時間闘い続けてくれる責任を果たしてくれた「日本の男性」たちに感謝をしているし、
自分たちには出来ない任務を果たしてえくれるから、
惹かれ、感謝し、好きになって、結婚しようと思ったのだ。
だから、画一的に、
海外の圧力で、
日本の社会から女性差別をなくそう!というフェミニストとは意見を異とする。
多様性というならば、
私達のような女性の意見を無視して、画一的な意見を押しつけようとしないで欲しい。
女性の生き方の選択が広がり、
自分の状況によって、自分が自由に選択できること
それが重要で、
その結果、日本の管理職の女性比率が少なくなっても、
それは日本の企業や役所にとって、その役目を遂行するのに最適値であれば、
外国からとやかく言われる必要はないと思う。
私が人生をやり直せるなら、
若いころの迷っていた自分に言いたい。
その時、その時を精一杯楽しむこと。
なにを選択するにしても、
その結果を不安がらずに、
楽しんでほしいと思う。