50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

無言生活

夫との会話がない。

気軽に話せない。

 

いつも上から目線で、

間違いを指摘したり、

論拠を求めたり、

アドバイスしてきたり、

従わせようとしてきたりするので、

発話したくない。

 

相手を慮って、

「こういったら、こう受け取られて、こうなるよね」と

予測して、話せとよく言われる。

 

仕事だったり、なにか目的のある時は、それでよいかもしれないけれど、

家で、仮面を脱いで、

リラックスしているときまで、

そんな戦闘態勢でいるのはしんどい。

 

ただ一緒にいる。

仮面をつけずに、

格好つけずに、

自分の心と向かい合うように、

気を遣わずに、そこにいる。

その中で、

自然にしゃべったり、

相手にかかわったりするのが、普通の状態なのに、

 

夫が外から持ちこむ倫理は、

人の意見を押さえつける。

バカにする、考えのなさを指摘する、

自分の正当性を押しつける。

 

だから、居場所がなくて、

しゃべらなくなり、目をあわせなくなり、

笑顔がなくなり、

自分を守るために、目をつぶる。

存在を意識の外に押しやろうとするから、

いなくなるとほっとするし、

圧がなくなる。

 

コロナで、社会が激変して、

今までの論理が通じなくなって、

その中で、とりあえず対応しているのは、現場の若い人たちで、

高齢者に片足突っ込んでいる管理職の夫の常識は、

まわりくどく、実践的でなく、

現場に負荷をかけるばかりで、

あまり役に立たない。

 

自分のまわりに豊富にあったコネクションは、

社会からは時代遅れと一掃されつつあって、

これまでの常識は、

常識ではなくなりつつある。

 

そんな中で、

自分の正しさを、家庭内という聖域においては、

強く押し出し、

自分を守ろうとする。

 

会社において、自分たちが中心でなくなりつつあるために、

社会環境とのアップデートが出来ず、

隅に追いやられる不満や気づきが

会社では抑えられていても、

家庭内で

同じように感じたときは、

過度に反応する。

 

そんなイライラを感じるから、

こちらも察して、

近づかないようにしてしまう。

 

しかし、子供たちは、今の世の中に対応し、変化し、その中で、生きていくすべを身につけなければならない。

 

私よりも早く、社会適応して、たくましく生き抜いていってほしいと思う。

だから、

主人の常識にどっぷり浸かってほしくない。

 

仕事一辺倒だった主人の家庭内の居場所は、

私がとりもち、作り出してあげることで、

子供とかろうじてつながり、できあがってきた。

 

子供も大きくなった今、その役割は必要ない。

地域の狭い社会でのつながりも、私が話さなければ、存在しない。

 

空っぽだ。

 

だけど、その空っぽの中で、

自分の居場所を見つけて、

孤独だけど、

細い糸で人とつながって、

生きていくのが、

老後の生活なんだろう。

 

大きな物語は壊れつつある。

それでも、尚、人は生きていく。

 

薄い空気の中で、

自分とつながって、

それでも、毎日は続いていく。