90近くなっても、認知症を発症せず、
病気はあっても、そこそこ回復し、
日常生活を自立して送ることが出来ている義父母。
彼らの朝食は、
納豆・ごはん・生卵・目刺し・味噌汁(わかめ・豆腐)だ。
その朝食が彼らの健康の素だと思う。
しかし、私は小さな頃から、パン食だったので、
朝からごはんを食べるのはきつい。
朝はコーヒーや甘いものがあると嬉しいし、
フルーツがあったりすると、気分が上がる。
最近、主人や次男は、甘いチョコケーキやコーヒー、ナッツを自分で食べるし、
長男は起きてこないので、
各自、自分の食べたいものを勝手につまむ形式が多い。
うちの朝食は健康朝食ではないけれど、楽だ。
朝から、弁当作ったり、車で駅まで送ったり、バタバタ忙しいのに、
義父母宅のような、健康朝食を完ぺきに作って、
食べ残された日には、イライラが爆発してしまうかもしれない。
健康朝食がいいものだと分かってはいるけれど、
今のうちの生活スタイルにはあっていない。
だから、うちは、各自の食べたいものを、勝手に、つまむ楽々朝食でいいのだ。
その代わり、昼食は、手を抜きたい日の「麺類」以外は、
ごはん、味噌汁、納豆、キムチを基本としようと思う。
何か、決まっていると「何作ろう?」と考えなくてよくて、楽だ。
夜は、ごはんと味噌汁かかさず、
サラダとメインのたんぱく質、サブの野菜、豆腐をしっかり作ろう。
一日一回なら、家族の健康を考えた、野菜付きのたんぱく質おかずをしっかり出すことも出来る。
それで、許してくれ!と思う。
あとは、各自で好き勝手にやってくれ!
最近は、
コープである程度の野菜中心の宅配が週一で届くので、
それを使い切ることで、
週単位では、野菜もとれていると思う。
野菜があまった時は、
刻んで、カレーに入れ込んだり、
野菜スープを作ったりする。
成長期の子供の弁当は、肉をメインで、
冷凍食品も多いけど、
野菜不足は、ビタミンゼリーで補っているつもり。
頑張って常備菜を作って、持たせても、残してくるからしょうがないのだ。
帰宅してからも、お菓子の食べ過ぎで、夕食残されたりしていたけれど、
お菓子を各自の小遣いで買うように言ってから、
私は自分のお菓子を買うだけになっているて、
家にないので、夕食をすぐに作ってと言われる。
ついつい私が食べすぎ、買いすぎてしまうお菓子、菓子パン類も、
自分のしか買わなくなってからは、あまり買わなくなった。
買い置きせずに、食べたいときに、食べたい分だけ買うようになった。
アイス、カルピス、炭酸は常備するけど、
私が基本食べているお菓子は、チョコ、アーモンドだし、
おなかがすいたら、
ちくわマヨやチーズ、ウィンナーを食べたりするけど、
そもそも、それ以外のお菓子が家に置いてないので、
昔ほどお菓子を過食しないようになった。
週末にノンアル梅酒や
仕事終わりに、ご褒美お菓子を買ったりするけど、
それも・・以前と比べるとそんなにひどくない。
私は、小さな頃から、50円片手に、毎日駄菓子屋でお菓子を買っていて、
それが一日の最大の楽しみで、
一人暮らしを始めてからも、お金のほとんどは、外食、お菓子に消え、
仕事を始めてからは、菓子パンや和菓子を買うことで仕事の疲れを癒し、
チョコやアイスが大好きで、
疲れたら自分を甘やかして、ストレスを解消して長年生きてきた。
そんな私が、突然やる気になって、
ダイエットや糖質制限に目覚めても、
そうそう自分は変わっていかない。
上手くいっても、我慢した分、リバウンドしてしまう。
子供が産まれて、食育や食事のマナーに失敗して、
悩んで、
子供を追い詰めて、
毎日、「何を作るか?どうすれば、負担が減らせるか?」ばかり考え続けた。
家族の健康、子供の成長を考えると、プレッシャーで
食事を作ることがストレスでたまらなかった。
逃げようにも、食事は一日3回もあるし、毎日あるし、
苦痛な作業だった。
子供たちが無事成長し、
一人暮らしを考え始めたときに、
一番のネックになったのも、食事のことだ。
「何を食べるか」
そのためには、買い物、お金の使い方、調理、片付け、ゴミ捨て
全てが必要で、どこがが滞ると、健康を害したり、ゴミ屋敷になったり。
生き続けていくには、食事にまつわることから、やはり逃げることが出来ない。
私にも、彼らにも出来、続けるのにストレスがなく、
健康を維持できる食事。
特に、忙しい朝食に食べるもの・・それを探さなければならない。
年を取ってからのことを考える。
一人暮らしで、訪問介護の必要な男性。
施設に入ると、もっとまともな、栄養のあるものが食べられるのだろうけれど、
「自由」のほうが大事な人もいる。
不便でも、「自分で決める自由」、自由に選択することを重要視し、
生命の安全が脅かされるまで、
ぎりぎりまで、
家で暮らすことを選択する人も多い。
彼らの食事が、
コンビニ食や弁当のみになっていても、
それでも、生きていくのだ。
食が細くなって、
体重が落ちて、
栄養ドリンクでカロリーをとって、
大量の薬を飲むためだけに、
毎食、食事をとることを強要されていても、
生き続けるためには、なにかを食べなくてはならない。
栄養を考えた、美味しい食事が提供されるのは、
奥さんが健康だったわずかな時間。
その後は、自分で、他人が、時間内で、手軽に作った
簡単な食事を手に入れることしかできない。
それでも、
最後まで、コーラを飲む人、タバコを吸う人、
お酒を飲む人、
健康には悪いだろうけれど、
生き続けるために、
好きなものを一口食べることが、
気力につながり、人は生きていく。
一概に、健康に悪いという理由で、
我慢させたり、取り上げたりするよりも、
彼らが好きだから、
それを手に入れたということが
今日一日を生きるエネルギーにつながることもある。
そういった姿を見ていると、
「食べること」の意味を考えてしまう。
栄養だけではない、何を食べて生きていくのか、
考えている。
今の朝ご飯スタイルでいいのか、
「楽」を選んで罪悪感を感じたときは、「いいよ」と自分に言いたいと思う。