50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

悪役令嬢の話ばかり読んでいる理由

小説家になろう」というサイトで、素人の書いた小説が

無料で読める。

 

いろいろなカテゴリーがあるのだが、

私がもっぱら読んでいるのは、

異世界カテゴリーの悪役令嬢もの。

 

なんとなく、物語の型がある。

 

「悪役令嬢が婚約者の王子様に婚約破棄をされ、断罪される。

王子様の横には、聖女タイプの女の子、そこに真実の愛がある」

という、ステレオタイプの型があり、

そこから、各自、オリジナルの話を膨らませていくパターン。

 

2000以上の話を読んできて、

時々、斬新な新しい展開や、

新しいキャラクターがうまれて心をつかまれる。

そんな出会いがうれしくて、

ついつい時間を忘れて、

毎日、新しい小説を読み続けている。

 

時々、別のカテゴリーも覗いてみるのだが、

やはり、このオリジナルパターンを好む。

 

「白馬の王子様」の物語は、いくつになっても好きなのだ。

完ぺきな王子様、

完ぺきな悪役令嬢の主人公、

でも、うまくいかない、一方通行の思い。

信じてもらえず、

レッテルを貼られ、

勘違いされ、

・・と理由は様々だけれども、

拒否され、断罪される。

自分以外すべてが敵となり、

全てを失い、

何もかも失う。

そこから・・どう生きるのか?

ざまぁ・・と言わせる復活。

気持ちを切り替えたり、

生きなおしたり、

別の出会いがあったり、

別の生き方が見つかり、幸せになる。

 

なんで、このパターンが好きなんだろうか?

王子様に憧れる年でもあるまいし‥。

 

理不尽に、信じてもらえず、

窮地に陥り、

孤独に、何もかも失った状態からの、

這い上がり、立ち上がる姿に

意味を見出すからなのか?

 

私の年代は、

チヤホヤされて、自由!を信じて、

何かになれるはず!と夢見て、

我慢せず、束縛を嫌い、

人生の選択をしてきたつもりが、

年を取ると、

それまで我慢し続けた世代の守ってきた、セイフティネットがなくなり、

頼れるつながりもなく、

自由な市場競争の中では、若者や外国人に負け、

窮地に陥る不安に覆われつつある今日この頃。

 

今まで脛をかじってきた親たちは高齢化し、

介護の負担が増し、

それかといって、

子供たちは、新しいシビアな競争に生き抜かなければ、先がなく、

大変そうで、

自分たちの将来は、

どんなになっても、自分ひとりで背負わなければならないのだろうなぁと、

漠然とした不安を抱く。

 

年を取っていくと、

生きていくこと、

生き続けていくことは

大変だなぁと

感じ始めている。

 

断罪された悪役令嬢、

その姿に、生きるヒントをもらいたい。

 

「愛し、愛される」

その関係は、生きてく目的になると思う。

「家族を作る。夫婦になる」

ということはその延長線上にある。

そういったことが、生きる目的であり、人生の意味になる。

 

でも、

そこにあったはずの信頼が壊れ、

心のつながりのない関係になっていくこともある。

 

パートナーが先に死んで、一人取り残されることもある。

 

年を取るということは、

「愛」「恋」といったエネルギーがなくなっても、

「縁」や「情」で人とともにいることはある。

 

各自がその相手がいなくても生きていける、

毎日過ごしていける、

小さな自家発電のような低エネルギーで毎日を過ごしながら、

切れそうで切れない電池を大事に使いながら、

命を長らえ、

その切れそうで切れていない、現世との縁に慈しみを持ちながら、

感謝と、少しでもより良い世界になるように、

過ごしていきたい。