50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

ワイドショーを生活から排除する

ついつい、テレビをつける。

ワイドショーをつけっぱなしにする。

「モーニングショー」「ひるおび」「ミヤネ屋」

一日中つけていると、

同じ話題に注目し、繰り返し報道される。

ワイドショーに取り上げられない話題は、ネットで話題になっていても、

この世に存在しないかのごとく、報道されず、話題は消えていく。

しかし、

しょうもないことでも、

ワイドショーが攻撃すると決めた相手にダメージを与えることのできる内容は、

繰り返し、繰り返し、日をまたいで、

あーだ、こーだと悪意をばらまき続ける。

 

いつもの顔ぶれのコメンテーターが、

正義面して、上から目線で、断じる。

彼らに深い知識がなくても、

彼らはプロデューサーの指示通りに、台本通りに、

悪意をばらまき、世論を喚起する役割を果たす。

 

専門家という名の役割を与えられた小遣い稼ぎの専門家もどきが出てくる。

 

番組は、きちんと正確な事実を報道することを目的としているわけではなく、

自分たちのお仲間や金払いの良いスポンサーに都合の良い世論を作り出すことが目的だから、

何もわかっていない一般大衆や

認知が危うい高齢者に向かって、

洗脳するように、

繰り返し、繰り返し、怒りの種を植えつけていく。

 

高齢者を集会所に集めてて、高額な布団を売りつけている「催眠商法」と同じことだ。

 

酷いことをやっているな‥という目で見ているけど、

テレビしか見ない人たちが、どの情報に汚染されているのか知っておきたいから、

ついついテレビをつけてしまう。

 

コロナ関連の話題は、広範囲な人々の自分事であったし、

いつものように、自分たちが得をしようと、

世論を振り回してみても、

結果として、

あとになって、その嘘や扇動がばれてしまう。

 

全県民PCRを行った広島県はどうなった?

10億の基金PCRに使いつぶしたけれども、

感染爆発は、PCRをしなかった岡山よりも起こっただけだったよね。

 

スポンサーに得になる政策決定までは出来たけど、

その結果がひどいものだったことは、

あとあと、数値として検証できる。

 

だれが、いつ、どのように、

誘導したのかも丁寧に見ていけば分かる。

 

ワクチン接種も、自治体単位で、進み具合が分かるから、

本当の意味での住民のための政策を行う地域がよりよい結果をうむ。

 

どの知事が、どの市長が、住民のために働いているのか?

中国や外国からの利権のために、

国益売っているのか?

それが、住民のためになるのか?

税金の無駄にならないのか?

そんなことが可視化される。

 

それを調べたり、報道したりするのがジャーナリストなのに、

彼らは邪魔しかしない。

外国からの干渉の足場にされているだけだ。

 

本当の意味での、

ここに住む私たちにとっての、益になるもの、害になるもの

 

それが、コロナによって、

海外との交流が途切れたことによって、見えやすくなった。

 

個人にとっても同じだ。

 

外国に住む。

外国人と結婚する。

 

ネットのなかった時代は、かなりの覚悟の必要なものだったけれども、

常にネットでつながった状況で、

ボーダーを行き来することが出来るようになって、

義務を果たさず、権利だけを両取りできる、ある種の「特権」としての

海外居住者がうまれる。

 

「ハーフ」が「ダブル」になるように、

第二市民として肩身の狭い思いをしているのではなく、

二つの文化を自由に行き来出来、違う視点から見ることが出来る

グローバル化された自分を、ロコ(現地人)よりも特別に優れたカテゴリーに属していると勘違いする人も多くなっていたと思う。

 

だけど、コロナによって、一気に流動性がなくなった時に、

「自分の今いる場所」が自分の属している社会で、

そこのルールに沿って生きて死んでいく覚悟が必要になった。

 

海外に暮らしている人たちの中には、

自分の周りでバタバタ人が死んでいくときに、

「日本に帰りたい」と強く思った人も多いと思う。

 

若かったときには感じていなかったけれど、

海外で結婚や子育てをしている人たちの中には、

今はいいけど、老後、自分の認知機能が弱ってきたときに、

今いる、この場所で、その国の福祉に頼って死んでいくのを良しとするか?

と、考えだす人は増えたと思う。

 

地域でも同じだ。

東京の良い大学に行くのは、良いことだ!と思ってきたけれど、

子供が行き来出来ず、

一人で、都会のワンルームでコロナにかかって苦しんでいたら、

親に何が出来るか?

大学、就職、結婚と都会に行ってしまったら、

気軽に行き来出来ないな・・とか。

 

ネットが広がって、距離がなくなったかのような気になっていたけれど、

コロナのような「何かが起こった時」は、

距離はとてつもなく大きな問題で、

同じ場所で、同じ時間を暮らしていることは、

とても特別なもの。

 

テレビの中の人たちが、

東京や欧米の肩書を特別なもののように扱うけれども、

見ている私が同じように、

その肩書を特別視する必要はない。

 

自分にとって、大切なのは、

自分の周りにいる人たちで、

その目線から、

水平に物事を見ると、

なにが大切で、なにが、周りの人のためになったり、

自分が幸せになったりするのか分かるから、

 

ワイドショーの上から目線の社会の視点は、

私にとって、なんの意味もない、むしろ邪魔な物だと思うようになった。

 

 

 

自分の生活から、テレビをオフにして、

追い出して、

静かな生活にしたら、

心穏やかに過ごせるのでは?

自分に必要な情報は、誰かに与えられるのではなく、

自分から取りに行く。

若者たちのやっている方法のほうが、

良いと思う。

 

ツイッターやネットで得られる情報は、どうしても蛸壺化してしまうし、

同じような感覚の人たちの情報ばかり触れ合うことになってしまうから、

世界が狭くなる。

 

テレビのように、求めてなくても、

他者の視点が垂れ流しにされると、

反論したくなり、自分の意見がまとまるという良い作用もある。

 

ずっと見続けない。

どうせ同じ視点で選んだ素材の焼き直しばかりだから・・。

新しいものは何もないから。

 

自分の時間をどれだけかける意味があるのかは、

いつも考えて、テレビをつけようと思う。