50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活スタートのはずが、コロナで引きこもり生活が1年以上続く。そんな中での毎日を綴ります。

50代の心構え 楽な生きようと思う

コロナ下と定年が近づいてきて、夫が家にいる時間が多くなると、

イライラしていた。

話すとケンカになるし、

家にいるとなにかしていないといけない気がして、気が休まらないし、

腹が立つし、自分が嫌になっていた。

 

この相性の悪さも、これまでは子育ての忙しさに逃げることでごまかし続けることが出来ていたけれど、

子育てから手を引かなければ、子供にとっての悪影響が見えてきて、

それかといって、

逃げる仕事や趣味、人との付き合いもなく、

ぼんやりしていた。

 

そんな生活が続いていたが、少し、今、気持ちが上向きになっている。

 

主人を無視しているような感じが続き、

結婚で仕事を辞めたのに、

結局、「温かい家族」も作れなかったし、

胸を張って「立派に育った息子」と言えるような、頑張った子育ての結果も伴わなかったし、

これから先、二人で支えあって生きていくパートナーにもなれなかった

失敗作のような関係しかなくて、

行き詰っていたのだけれど、

 

夫との関係に関しては、挨拶だけはきちんとしようと決めた。

 

無言の圧力に答えることはない。

したくもない「義両親の介護」を買って出ることはない。

でも、

にっちもさっちもいかなくなったら、

出来ることは手を貸すことは厭わない。

 

親の介護や自分たちの老後、子供の将来を考えると、

不安しかないのだけれど、 

「今現在起こってもいないことを不安にならない」

「大変なことも起こってから、対処する」

と覚悟を決めた。

 

「夫や子供との自他境界線をしっかり意識する」

相手のためになるからしないといけない・・という

自分を縛っているプレッシャーを自分にかけない。

自分の余力で、人の心配をするし、

自分を損ねて、依存されたときは、逃げる。

各自、自分を支えるのは、自分自身であるべきだし、

死んでいくときは、自分自身と向かい合わなければならないのだから、

大事な子供にも、そのように接していく。

彼らの人生は、彼らのものだ。

家族とい大事なものが、「死」という大変なことで

私の自由を奪い、譲歩を迫り、追い詰められる息苦しさを感じていたけれど、

そこに「自他境界線」をきちんとひく。

どんな状況になっても、側にいてあげることは出来るが、

その状況を乗り越えたり、悩んだりするのは、

私でなく、彼ら自身であるべきだ。

それは、親に対しても同じこと。

老いること、死んでいくことは、辛い。

しかし、自分にできる範囲で、気にかけてあげること、

自分に出来る範囲で、手を貸すことだけで、

自分の人生を犠牲にしてまで、

共倒れするまで、頑張り続ける、自分自身を追い詰めることはしない。

 

その考え方を突き詰めると、

自分の「老い」や「死」に対しても、

自分の人生に対して、

誰かが肩代りすることなく、最後まで、自分がしっかり声を拾って、

対処し、自身をケアしてあげなきゃいけないので、

自分との対話、

自分の本当の感じたことを聞き取る力を、きちんとつけていく必要があると思うようになった。

 

他人、マスコミや権威の意見や、

勘違いや、自分にあわないことは、

自分自身が感じていることより重要ではない。

 

自分の意思決定をするときにいつも気になってしまう、他人の目。

ステイタスとか、自分が属している社会にあうかとか、

他人の目を一番に気にし始めると、

「よりよく見せる」「勘違いさせる」ことが目標になってしまい、

そこに振り回されると、

「偽物の自分」を演じるために、膨大なエネルギーを使ってしまう。

 

社会的な役割のある人は、しょうがないと思う。

社長さんは金回りが良いふり、

営業する人は自分をよりよく見せることで、

勘違いした相手からより多くのものを得ることが出来るし、それが仕事だから。

 

しかし、今の私にそれは必要か?

 

若い時は、自分を高く売るために、合コンでそのように振舞った。

本当の自分がそのままハイステイタスの男性に望まれるとは思ってなかったから。

結婚するなら、年収の良い、楽な安定した生活をしたかったから。

見る目のない、

騙されやすい男性が、引っ掛かるのだと分かっていたけど、

その中で、

自分の妥協できる、自分にとって、都合のいい、相性のいい人と

一緒になるのがベストの選択だと思っていたから。

 

愛だ恋だのの主人公になれるような、そんな特別な「自分」はいなかったし、

「妥協」と「縁」によって、

かろうじて、私も人とつきあったり、結婚したり出来たのだから、

そんなもんだとは思っていた。

 

「結婚」とか「就職」とか、選ばれて、やっとゲットできるもののために、

自分が選ばれやすいように、他者目線の型に当てはめ、

そこに当てはまらない自分は隠し、

息をひそめて、

演じ続けなければ受け入れられない・・そんな社会に生きてきたけれど、

今はその枠がもうない。

 

自由だ。

 

ダメな自分も、

カッコ悪い自分も、

劣った自分も、

そのまま見せても、

今の場所から排除されることはないと思う。

 

居場所がある。

その居場所が、人のうらやむような人気の場所ではなくても、

孤独で、簡素なものであっても、

とりあえず、安全で、

自由に息をしていても、追い出されることはない、そんな居場所。

 

将来、未来永劫、あるかは分からないけれど、

今現在はここにある。

 

だから、大丈夫。

 

外に対して、頑張って、

自分と違う何か「もっと良いもの」のふりをしなくてもいい。

 

最近、白髪が出て、肌もたるんで、若い人から「おばさん」として扱われ、

他人から軽んじられているように感じ、

社会から取り残され、

このままではいけないような気もしていた。

 

コロナで、

人との交流が途切れ、

無理して、交流しなくても、

毎日時間が過ぎていって、

自分のしたいことだけしたり

無理したりしないといけない行事が激減して、

きちんと服を引っぱり出したり、

化粧に時間をかけたりすることもなくなって、

自分をよりよく見せるために振舞うことがなくなった。

 

いつも自分が一番着心地の良い楽な服をきて、

日焼け止めだけぬって、

化粧してなくても、マスクするから一緒で、

マウンティングしあう会食もなく、

FBもしなくなって、

遠くの友人に「自分は現役で輝いてます」アピールをする必要もなくなり、

そのまんまのダラダラ、

ソファーの上で

スマホいじってる自分とだけ過ごして、

それでも「生きている」自分がいることに気がついた。

 

これが本来の自分なんだな・・。

 

今のここにいる自分を、そのまんまの目線で、

表現したり、

誤解されないように、

言葉を使ったり

それでも、

大丈夫な気がしてきた。

この居場所から追い出されることはないだろう・・。

 

今の自分が、

これからの自分の中で、

一番健康で、

一番若く、

一番可能性に満ちた自分だろうから、

それを楽しめばよいと思うようになった。

 

それで充分なのではないだろうか。

楽に、そして、自分をケアしながら、

自分の人生を生きていこうと思う。