50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活スタートのはずが、コロナで引きこもり生活が1年以上続く。そんな中での毎日を綴ります。

服を買いにいった。

昨日、ユニクロでワンピを試着して、驚いた。

おなかの脂肪。

うわぁ・・と絶句するような太り具合。

やはり脂肪率30%はごまかせないほどに太っていた。

 

シャワーを浴びながら、上から見ると、丸みがあって、

今の身体もそんなに悪くないと許容していた。

 

太っているのは知っていたけれど、

年相応、痩せすぎより良いと思っていた

 

骨の作りが人より華奢な分、前から見たら、皆と一緒。

脂肪は、身体の厚みになって、

肩の後ろや、おなかについているのだけれど、

横から見なければ大丈夫と思っていた。

服で隠せるところだし‥。

 

しかし、ノースリーワンピ着て驚いた。

二の腕、人様にさらしてはいけない、おばさん体形。

 

いつものMサイズは、身体の線がでて、

太っているのが分かってしまうから、

最近はLサイズを選んでいたのだけれど、

Lサイズだと、肩の線、首の空き具合が

身体に合っていないので、なんかおかしい。

 

服のサイズが体に合わなくなって、

ますます、買いに行かなくなって、

試着もあまりしなくなった。

 

でも、服自体もずっと着ているとよれよれになってくるから、

ただでさえ、外見に構っていない、残念なおばさんになってしまっているのに、

なんとかしなければ・・という気持ちも発作的に起こることがある。

 

毎日毎日同じ服を交互に洗濯して、着ていると、服がよれてきて、

さすがに新しいものに買い替えたほうが良いような気はする。

特に、季節の変わり目は思う。

 

伸びきって、身体の線になじんだ服と違って、

新品は、身体の線に合わなくて、

どれを買っていいのか、全く分からなくなる。

 

昨日は、40代、50代向けのスタイリングをしている方の動画を見て、

アドバイスされてた以下の言葉が、納得だった。

 

「肌の張りがなくなり、つやがなくなり、

今まで着こなせていた色が似合わなくなる。」

 

見て、今まで似合っていた色や形が、

鏡で自分にあわせると、似合わない。

 

服自体が好みでも、

自分が着ると、似合わなくて笑いが出る。

 

どれを手にとって良いのかさえ、分からなくなる。

 

先に、少し勉強して、

知識をいれないと、

沢山の選択肢の中から、

今の自分に必要なもの、似合うものが、全く分からない。

 

最近のトレンドが理解できなくて、

若者向けの情報いれても、

今の自分に全く似合わないものの情報ばかりが集まってくる。

 

今の自分や今の生活環境で、

自分が出来る範囲を限定した上で、

今より少しマシな自分、

他人から見て、好印象の範囲に収まる

そんな服が欲しい。

 

動画見て、

つや感、身体の線が出すぎない落ち具合、

サイズの合ったもの、生地の安さが目立たない色、

引き締め色、他人が見て痛くないトレンドの取り入れ具合、

肌の出すところ、隠すところ・・

そんな情報が、

言葉にされて、

知識となって、

ようやく、私に必要な情報だったと満足する。

 

衣食住の中でも「衣」は、

今まで、お金のせいにして、

避けてきた分野だけれども、

大人として、経験値が多い分、

「老い」というごまかしのきかない条件を抱えても、

それなりに、他人目線で「好印象」を与えられるような

そんな知識と物の選び方、センスは

自分の置かれた条件の中で、

磨いておいたほうがいいよね・・と思えるようになった。

 

もともと、「衣」には興味があったはずなのに、

どうしてこんな自分になったのだろうか?

 

中高生のときは、すごく服に興味があった。

学校帰りに、服を見て回り、

お小遣いで欲しいもの、バイトで稼いで買いたいものは、全て服だった。

 

だけど、

親にはなかなか買ってもらえなくて、

いつも我慢させられた。

 

服は買うものではなく、

似たのを作ってあげる・・と母に言われ、

生きていくために必要な「節約」には、

「衣服」だという考えが身についた。

 

一人暮らしをして

自由にお金を使えるようになってからは、

ボディコン流行の中にいて、

服は「戦闘服」であり、

社会的ステイタスを手にいれるための装備品になった。

自分の「女」としての価値を底上げするための道具としての衣装だった。

 

だから、ブランドものを

いかに安く手に入れるのか?に喜びを見出し、

服そのもの自体よりも、

その服が持っている「記号」としての部分ばかりに注目した。

 

自分が好き!好ましい!と思うセンスにお金をかけることはなく、

着ていて自分が心地よいことよりも、

他人から見て「いけてる」と思われることが大切だった。

ブランド物を持って、他人を威嚇する、効率よくマウンティングする道具としての買い物はしなければならないけれど、

それは特別な状況における戦闘服でしかないので、

普段の自分には必要ない。

 

普段の自分用の衣服は、

安くて、たまたま手に入った、そのへんの物ばかりを身につけていたので、

今、戦闘のイベントが全くなくなり、

普段の自分しかいない中で、

 何を着たらいいのか?分からなくなっている。

 

結婚、子育てしながら、

お金は湯水のように必要で、

普段の「衣服」にお金をかけない癖は抜けなくて、

自分が普段身につけるものが、

どこで、どれくらいの値段で買えばいいのか?そんなこともよく分からないので、

とりあえず、安いと言われる「ユニクロ」や福袋、セールで

いつもより「安く買えた」ことに理由を見出して、

買っていた。

 

好きでなくても、身体に合っていなくても、

とりあえず、

「世界中の人が良いと言っているものなんでしょ!」というところに、

自分の好みとあわない違和感を抑え込んで、

買っていた。

 

人が着ている、持っているのをみると、そこそこよく見えるのだけれど、

その物自体を見て、

「欲しい」とおもったり、「感動したり」する要素があまりない。

 

そういうものにお金を払うのは、楽しくない。

 

ますます「衣」のセンスは磨かれないまま、

埋没していった。

 

昔はあったんだよなぁ・・・

 

値段を見る前に、

そのものに目をひかれ、「欲しぃ~!」と思って、

買える値段に大喜びで、財布を開く。

 

思ったよりも高くても、「どうにか手に入らないか」算段をつけて、

クレカで払ったり、

その場で買わなくても、後ろ髪ひかれながら、後日また見に行ったり・・

そんなショッピングをしていた自分・・。

 

お金がなくても、

その街が好きで、

時間があると、ぶらぶらウィンドーショッピングして、

そこにいる、お洒落な人に目を奪われながら、

お小遣い程度の小銭で、

おやつを食べながら、

ただひたすら歩いて、歩いて、見て回る・・。

 

楽しかったなぁ。

 

そんな買い物がまたしたい。

 

単なるノスタルジーなんだろうか?

 

ネットの普及で、そんな店舗は商売にならず消え、

コロナのせいで、街も消えつつある。

 

寂しいな。

 

今残ったのは、昔からの信頼のある、ブランド名を利用して、

安い、粗悪な中華製品を売りつけ、

利益を吸い上げる、そんな空っぽの店ばかり。

 

コマーシャルや広告費ばかりで

新鮮なイメージだけは振りまくけれど、

その裏で、環境が破壊され、

普通の人々の暮らしは立ち行かなくなる、

そんな企業ばかりが「グローバル企業」という看板を掲げている。

 

誰の責任で、

こんなに大切なものを奪い去っていくのか、

そういう姿が目に見えないまま、

多くの人が巻き込まれていく・・そんな企業活動ばかり。

 

 ずいぶん、つまらない社会になったなと思う。