50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

家庭における、子育てと介護の共通点

仕事中に電話が鳴った。

日頃は、電話を取らない。

利用者さんに失礼だから・・。

 

しかし、夫からの電話だったので、

しかたなく取った。

義父が転倒した。起き上がれないという電話だった。

 

仕事中なので、

他の人に助けてもらった。

 

子育て中の電話のことを思い出した。

 

昔、幼児の子育てでクタクタになっていたときに、

「電話を鳴らしてもとらなかった」ということに

ぶち切れ、携帯を床にたたきつけられたことがある。

 

できちゃった結婚の私達は、

お互いを知りあう時間もあまりなく、

子育てが始まってしまい、

子育てしながらも、相手の好感度を気にするような仮面をかぶり、

お互いの本音の関係を構築しなければならず、

すっかり疲れてしまっていた。

 

夫に対しては、

自分とはいろいろ共感できない違いも沢山あるけど、

年齢差もあり、

尊敬の念も抱いており、

ドメスティックハラスメントとか暴力とかには、

一番縁遠い人だと思っていた。

仕事も忙しそうで、

毎夜深夜まで帰らず、土日も仕事に行っていた。

 

今思えば、

子育てでいっぱいいっぱいの母親をサポートするどころか、

逃げまくって、

土日も仕事に逃げまくって、

そんで

私は、「家庭を一緒に作る」とか、

「一緒に子供を育てていく」といった甘い夢を

いろいろあきらめて、

自分ひとりで、サバイバルのような気持で、

どうにか生きていた。

 

「なんど電話してもとらなかった」ということに、

ぶちぎれるなんて、

今考えても、酷いなぁと思う。

 

そして、

何度か、罠にはめられたように、

自分の判断で動いていたら、こんな目に合わないのに、

彼の言葉に従ったことで、

私だけが理不尽な目に合う・・ということが度重なり、

それまで抱いていた、

「頼れる夫」という幻想が消え、

とにかく、自分がつぶれてしまわないように、

自分のペースで生きていこうと決めた。

 

一緒に子育てをしながら成長していくパートナーとしての役割は、

仕事を理由に、

私だけに課せられ、

はじめての子育ての大変さや戸惑い、困難は、

シェアしたくても、

話したら、

上司のような立場で

簡潔に、分かりやすく報告することだけを求められるので、

余計腹が立ったり、

負荷が増すので、

自分ひとりで解決できるまでは、

話さなくなった。

そして、そんなもんだとあきらめた。

 

子供が無事育ち、

評価される、喜ばしいことは、当たり前のように享受し、

育ったけど、

人並みに出来るようにならなかったね・・と

親の評価を下げるような点は、

全て、私のせいにされる。

 

そう、私のせいだろう。

 

精一杯頑張ったけど、

私も未熟で、

私なりには精一杯頑張ったけど、

ここまでが精一杯だった。

 

無理やり強制して、従わせるには、

子供も「一人の人間」で、

それぞれに個性もあり、

良い資質も幸運にあれば、

社会的に評価に低い、個性も持っている。

教育、しつけといった、

より社会的に順応しやすい、評価を高くすることを

上手く導いてあげるだけの資質を私自身が持っていなかったし、

私達の社会的な評価基準もあやふやで、

子育てを通して、

自分の思い込みのほうを修正するようになったから、

甘いといえば、甘いけれども、

私達の価値基準に、強制的に従わせるだけの

強い信頼、絶対性を

私が持てなかった中で、

しょうがない結果だとしかいいようがない。

 

健康に、無事に、ここまで大きくなった。

しかも、

本人は、それなりに毎日を過ごしている。

辛くて、泣いているわけでもないし、

笑わないわけでもない。

その成果で、私はOKとする。

未熟な部分は沢山あるけど、

あとは、自分できづいて、

自分の居場所を作って、

自分で生きていく、

その手伝いをする。

それだけだと思っている。

 

社会的基準に照らしあわせて、

自分が勝ち得たパワーゲームの中で、

自分よりも強く、たくましく勝ち抜いていける

若さや能力、自信を

子供に見出したいと思うならば、

今の子供の姿は、全然足りないし、ダメ要素しかないように見えるだろうと思う。

 

夫は、日頃、子供に無関心。

ところが、唐突に、

ダメだししたり、

批判したり、

その批判の中に、私の子育てを含も、

私の価値観の否定を紛れ込ませ、

毒を吐くのだけれども、

そういったものに、いちいち腹を立てたり、傷つくのはやめた。

 

私自身も未熟で、子育てしながら迷って、

今ある、これからの社会に、どうやって適応していこうかと途方に暮れているのに、

そんな迷子になった大人が、

立派に子供を導いていけるなんて、無理だ。

そう結論付けた。

 

こう言い切るようになったのは、

20年間、悩み、試行錯誤しながらも、

子供と一緒に、過ごしてきたから。

 

そして、今、

子育てがほぼ終了し、

今度向かい合わないと行けなくなったのは、

親の介護だ。

 

親は4人。

それぞれ2人ずつ、大事な親がいる。

子供と違って、

自分が大事に思っている親は、それぞれ違う。

 

大事に思っている気持ちは、

自分の親にしかない。

義理の親は、単なる近しい他人だ。

嫌いではないし、

人として、

すごく困っていたら、人道的観点から、手を差し出すことは出来る。

ただ、

自分の親に持っているような、

恩や愛情に基づく、大事な人ではない。

 

夫にとっての大事な人なんだろうな・・という理解はある。

 

夫が困っていたり、行き詰っていたら、

それをサポートする気持ちはあるけど、

その時にもたげてくるのが、

「子育ての時の仕打ち」と関係性。

 

自分の担当でないと、全速力で安全地帯に逃げただろ!

一緒に苦労を背負おうとしてくれなかっただろ!

上から目線で、必要ないアドバイスや否定表現ばかりして

負荷をかけただろ!

といった、うらみつらみ・・。

 

私よりも早く「親の介護問題」に首を突っ込んでいる夫は、

精神的に、今しんどいだろうと思う。

しかし、そのしんどさをシェアする良い関係は、

私達にはない。

長い期間を通して、少しずつ積み上げてこないと行けなかった「信頼」

は、私達の間には、ほとんどなく、簡単なことで壊れてしまう。

コミュニケーションの手段は、

「相手の地雷にふみこまない」

「自他の線をはっきりひく」

ことでしか、自分や自分の生活を守る方法がなく、

「相手に期待しない」ことで、

「自分が傷つかない」方法をお互いに取る。

 

そうやって過ごしてきた私たちにとって、

親の介護度や緊急度が上がっていく現実は、

かなり厳しい状態に突入する。

 

「声をあげることが出来ない」

声をあげたら、上から目線で、否定され、さらに追い詰められる

 

子育ての時に、私が経験したことを、

今、夫は経験しようとしているのだろう。

 

夫と義母、その2人がそういった状態にあることは、

自業自得といえなくもない。

強いから、耐えれる。

強いから、人にもそれを強いようとする。

弱い人の耐えられなさを嘲る。

下に見る。

その癖が弱い人を追い詰める。

義父の弱さを見ながら、

弱さを、家長封建制の権威システムを借りて、

お酒の力も借りて、

周囲に圧力をかけ、

ごまかしながらも、どうにかやってきた家族関係。

そして、それを義母も夫も利用し、

家族内の関係を維持し続ける。

 

そんな、他人からみたら、

かかわると、ろくなことにならない雁字搦めの関係性に、

「老々介護」問題がのっかたので、

私(他人)が手を出しづらい、

面倒な状態になっている。

 

さぁ、どうなっていくのだろうか(ため息)