50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

実家に帰った

コロナで高齢の両親のところにはなかなか帰れず、

ここ1年ほど、電話で時々話すのみだった。

 

年をとってきたのだから、

白内障の手術を受ける」

「がん治療を始める」

「近所の誰々さんが亡くなった」

そんな話題ばかりで、

遠方にいると、「元気だ、大丈夫」と言われても、

そのままその言葉を信じることも出来ず、

訪問介護で出会う利用者さんたちの日常と

自分の親の暮らしを重ねて見てしまい、

漠然とした不安と重苦しさ、暗い未来ばかりを思い浮かべていた。

 

今の自分の暮らしは、

昔より、話す人もなく、笑いもなく、夢もなく

「まだまし」と思いながら、

人とつながらず、頑張って生きているので、

実家が、

昔と変わらず、

笑いにあふれ、

そこそこ生活レベルをキープしながら、

沢山の人とつながりあっていることに、

私が癒されて帰ってきました。

 

私が小学校の時の親同士のつながりが未だに生きていて、

お互い、子供たちが遠方に巣立ったり、

配偶者を亡くして一人ぼっちになったりした後の、

精神的なつながりになっていて、

愚痴や暴露話を通して、

私達子供世代同士は、会ったことがないにもかかわらず、

親からの噂話を通して、

近所の家庭の家族関係から、

子供たちの現況を知ることになります。

悪口や不満もあるけど、

高齢の親を抱えて苦労しているな・・とシンパシーを感じて、

私もその地縁の一部になったような気分。

 

転勤族で、子育てで苦労しながら一緒に過ごしたママ友たちと

バラバラになってしまい、

新しい土地で老いることになってしまっている、

主人の親たちにはない縁。

私達も同じく転勤族だったので、

退職した後に、

全く縁もゆかりもない場所で、

年老いていかなければならない。

 

出会う現役世代が○○さんとこの息子さん、

△△さんとこ子供は、今は立派になったけど、昔は悪かったよね~。

なんて、

自分の中にある昔のストーリーとつながることが出来ることで、

身近に感じ、自分の存在が肯定された気がする

 

今の自分は人にお世話になるばかりで、

どうにか生かされているけれども、

今彼ら、彼女らがあるのは、

昔の自分の頑張りがあったから・・と素直に胸を張れる。

 

そんなのが、地縁にはある。

 

住む人の新進代謝が激しい大都会には

なかなか時間を、世代にわたってつないできた縁は出来ない。

 

偏差値のように、

都会が一番!

アメリカが一番!と、一つの同じ価値基準で順位付けしたものを見ながら、

上へ上へと目指した生き方をしていたら、

ほとんどの多くの人々は

競争しながら、蹴落としたり、脱落したり

その場所をキープすることだけに執着したりするだけなので、

「老いる」ことが、

孤独で、否定しなければならないものになってしまう。

 

自分を中心に据えて、

つながり、広がっていった縁を大切にする生き方は、

お互いに支えあって、

大事にしあって、

生きていける、老いていける、死んでいけるような気がする。

 

暴力的な大きなパワーをもった金融や

グローバルパワー、テクノロジー

入り込み、蹂躙していく現在。

地域の縁を、外からの価値基準を押しつけることで、

人々を分断し、煽り、敵対させ、

混乱を持ちこみ、

地縁はなぎ倒されていく。

 

そんな嵐の真っただ中にいる中で、

実家にはまだそんなものに侵されていない地縁が残っていて、

すごく癒された。

 

私も、介護したりされたりするなら、

この関係の中にいたいなと思った。