50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活スタートのはずが、コロナで引きこもり生活が1年以上続く。そんな中での毎日を綴ります。

TOKYO2020オリンピック開会式の意味

開会式の演出、時間がたつほどに、細部まで考えられたメッセージの込められた

ものだったということを痛感する。

 

インターネットで各自が自由に発信できるようになり、

人々がバラバラになっている今の日本で、

それぞれの立場にいる人たちが、

「自分のことも考えてくれている、置いてけぼりされていない」と感じることの出来た式だった。

 

当初東京にオリンピックが決まった時の熱狂、

日本中が舞い上がっり、

「これで一儲けするぞ!」

「日本の力を世界に見せつけてやる、一発逆転だ!」というような

スゴイ、ニッポン!は全くなかった。

 

技術革新によって、世界がどんどん変わっていく中で、

その流れについていけず、

それかといって、ついていきたいわけでもなく、

独自の路線を歩いていると、

ことごとく、

「海外は・・なのに、日本はダメだ」と

否定ばかりされ、劣等感ばかりを煽られ、

行き詰まりや、

なりたくもないものに変化させられる息苦しさや、

そのことが、

誰かにいいように操られたり、騙されたりしているような不安を

社会全体に感じていたけれども

 

コロナが広がり、

一旦すべてが休止状態になった。

自分たちだけでなく、世界中が止まった。

 

立ち止まって、

何もない世界に、各自が直面して、

そして、考えた。

 

その結果、

それまでまとわりついていた、

ドラッグや性的な幻想で、絶えず刺激され、

金や消費のために、

人々が大事なものを手放し、

踊り続けていた、バブルの時代が停止した。

 

その今の世界状況で、日本が示したビジョンは、

「無駄な贅肉をそぎ落とした、シンプルな社会」だった。

 

必要なものはある。

でも、無駄な物はない。

質素だけれども、効率的で、皆を包括したまま持続可能な社会の姿。

そのビジョンをオリンピック開会式を通して、表した。

 

ロサンゼルスオリンピックの商業性

ロンドンや北京オリンピックでみせた、

自国の伝統やすごさを、全力で、見せつけ、力でねじ伏せるような圧倒的なパワー

 その延長線上にあるだろうと考えられていた期待を裏切り、

東京の開会式が示したのは、

すべてをそぎ落とし、

経済効率や自国中心主義ではなく、

全体として、

サステイナブルにするために、

機能性だけを残した大会の運営、その開会式だった。

 

それまでの日本は

マスコミに煽られながら、

「金!がすべて」「偏差値がすべて」と

煽られ、持ち上げたり、引きずり落したりされながら、

右往左往しているうちに、

白アリに基礎が食われて、ボロボロになって

日本らしさを失い、貶め、過度に守ろうとする人と、

もうどうでもいいと思ってしまった人との間に、

亀裂を生み、

対立し、

そこに、外国勢力につけ込まれ、

国力をけずってしまっていた。

 

コロナで、一人一人が生存の危機に直面して、

はじめて、

自分を取り巻く共同体の質が、自分の生死や生活に直接関係することに気がついた。

 

昔のままに、うるさいからとほったらかしにしているうちに、

いいように、身動きできないようにされることを許してしまっていた、

個人情報の管理や、ワクチン接種にまつわる問題も、

彼らの妄言を野放しにすることが、

直接、自分たちの生活の質を脅かすため、

見て見ぬふりが出来なくなっている。

 

効率性を重視して、

マイナンバーカードで国が国民一人一人を管理すること」が許容されはじめ、

国家の関与を嫌う年寄りたちの意識も、

戦後意識から脱却し、

コロナ対応のスピードに社会システムが対応するために、

管理されることを嫌う、一部の反権力の人たちが、

「もっと早く」「国が指示してくれなくては」と、

結果責任を回避するための文句を言っているうちに、

自分たちがもっとも嫌って、拒否してきたことを、

自らが国家に求めることになってしまった。

 

何をやっても、文句ばかりいって、

何の知恵も、改善案もだしてこない、

「野党」や「マスコミ」に対して、

TOYOTAが切れた。

 

いつもならマスコミは、

オリンピックの活躍した人のインタビューを機に、

取り巻き、追い詰め、仲間として取り込んでいく。

今回は、そんなテレビ局の姿を見なくていいので、

すがすがしい気分でテレビを見られる。

 

マイナースポーツの報道は、

感情を煽ろうとしゃべるアナウンサーの解説者より、

そのスポーツの貢献者として、ずっとやってこられた方が、しゃべる言葉のほうが、

心に響く。

しゃべりのプロでないことが、

そのスポーツのもつ、平常心の安定さや、静かな喜びを伝えてくれて、好ましい。

 

このオリンピックが、無観客を名目に、

低レベルのマスコミを選手にまとわりつかせず、

ヘンな意図の記事を書かせず、

静かに応援できることは、とても好ましく思える。

 

毎日文句や否定的な意見ばかりを大声で垂れ流している、

ワイドショーを見ていると、

この間、コロナのもたらした変化に対応できなかったのは、マスコミじゃないかと思う。

インタビューで、重要人物を取り囲むし、誰彼と会っている。

ワクチンを打っていないのに、毎日のように、スタジオで大声で感情あらわに、しゃべっていたりする。

 

そんな中で、世の中の人々はもっと生活や感覚が激変している。

 

「コロナ下のオリンピック」という相反する命題を同時に成功させようと

考え、立案し、反発にあい、つぶされ、さまざまな方向から圧力をかけられ、

文句ばかりを言われ、足を引っ張り続けられ、

国民がバラバラに空中分解しそうな毎日を過ごしながらも、

現状を乗り越えようと、足元を見つめ、

一歩一歩、目の前の課題、チャレンジを乗り越えることで、

やり遂げよう!困難を乗り越えよう!とし続けた人々がいる。

 

政府も、地方政府も、そうだ。

そして、

そんな名もなき人々のそんな努力を最後までやり遂げた、

やり遂げようとしている姿を見ることができるのが、

このオリンピックだ。

 

華やかな別世界の人の話ではない。

私達と同じように、

世間から評価されず、

理不尽な立場で、

日々むくわれず、

それでも、一歩一歩歩みを止めなかった

そんなヒーローが、私達であり、日本であり、オリンピックだ。

 

そこに、落とし込んだ、開会式は素晴らしかった。

 

評判の悪いTVクルーの部分も、

今回の開会式を、現場で見ているのは、彼ら。

これまでのオリンピックなら、

自分の国をほめたたえ、宣伝してくれるよう、過剰に接待したり、

特権をあたえたり、野放図な状態が続いていた。

迷惑ユーチューバーとかわらない報道姿勢も、

マスコミにNOを言える人はなく、

何を、どのように報道するかは自分たちへの接待具合とでもいうような、

お金や薬、貢物が飛び交う特権階級意識があった。

 

しかし、今回のオリンピックは、

彼らも選手のようなものだ。

数少ないクルーで、PCR検査をして、自分たちがうつさないよう、行動を控えながら、必要な情報を得なければならない。

 

あの開会式には、全てが登場していたのだ。

オリンピックが開かれるかどうかさえ分からない、

スポーツをする意味を考え続けた選手たち。

PCR検査、無観客の中、力を出す闘い。

 

大会を支えるボランティア

社会を支えるエッセンシャルワーカー

組織関係者

感染を広げない行動をする一般市民

 

この大会を通してはっきりすることは何だろうか?

 

韓国の煽り体質は異常だということ

日本の民放マスコミは部外者で、

野党は、自分たちのことしか考えていない。

反オリンピックデモは、中核派

欧米マスコミは、搾取すること、利用すること、そんなことばかり考えている大きな力を押しつけてくる。

国連は、難民や移民を日本に押しつけようとするばかり、

そんなものとも戦わなければならない。

 

さまざまな困難ばかりが押し寄せてくるけど、

現場は、一つ一つ、乗り越えようと、膨大な努力をする人、

そして、努力しながら、倒された人の屍の上に、今が続く。

マスコミの生贄になった人たち。

過労死した人たち。

そんな人たちの上に、今回のオリンピックがある。

 

私自身も、文句ばっかり言って、

社会のおもりになって、

他人を引きずり下ろすことしかできない人たちのようにならず、

すごい特別に優れた自分ではないけれど、

自分自身の足で立ち上がって、

光にむかって、

一歩、一歩、足を動かそうと思う。

 

長嶋さんが、立ち上がり、歩いたように。

その姿が、見苦しい、カッコ悪いと言われたとしても、

そんなのは関係ない。

自分が行きたい方向へ、

目の前の障壁を一つ一つ、時間をかけて、自分の努力で乗り越えていく。

 

良い開会式をありがとうと思う。