50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

マスコミはスルーされて、行動変容させる力はない。諏訪中央病院のデルタ株の説明が一番分かりやすかった

テレビのワイドショーが救急搬送出来ないコロナ患者の現状を報じても、

もう心が動かない。行動が変わらない。

テレビのワイドショーに出てくるお医者さん(専門家)は、

自分たちに利することを声高に訴えたり、

テレビのスポンサーやテレビ関係者の利するほうへ、世論を誘導するために、

材料集めをされ、権威付けに利用されるだけの人たちばかりが

出てくることが、もう1年半も続いてきたのだ。

本当の危機が訪れていて、必死のSOSや協力要請を発信していても、

皆、いつものことだとスルーしてしまう。

 

いつも2重基準で、

真に国民のためになる問題提起をおこなってこなかった信頼性の欠如、

広報機関としての社会的役割を放棄してきたつけがきている。

 

テレビ局は、ダメージ受けても、信頼を失っても、

尚、毎日、なにかを放送しなければならず、

枠を埋めなければならない。

 

オリンピックの閉会式で思ったけれど、

人が時間を取って、見ているのに、

こんなくだらない、低レベルなものが流されると腹が立つ。

 

YouTubeなら、簡単にオフにすればいいし、

見たいときに見たいものが見れるのに、

テレビは上から目線で、

人の時間を奪って、しょうもないクオリティのものを数多くの人に届けることが許されるなんて、なんて、特権。

こんなに低レベルな、国益も傷つけるだけの、無知な報道姿勢で、

給料がもらえるなんて、なんて、特権。

 

超一流の特別な能力を持つ人たちや、歴史のあるものならともかく、

単にコネを持っているだけの、能無したちの、低レベルな生産物を

お仲間だけで通じるノリで垂れ流しているだけ。

 

世界中の、そして、過去から未来の、あらゆる映像を見慣れた視聴者が、

さすが!と思うような、時代を切り取った、番組は何もなく、

惰性や、視聴者を馬鹿にしたような番組ばかり。

 

テレビや新聞と言ったマスコミの信頼性が乏しいのに、

全体の民意を、政府や政治家が推し量るときに、利用され、

政策決定に影響を与え、

その結果、ひどい決定がなされるから、

報道機関というより、圧力団体、政治活動を行うアクターとしての力を持つから、腹が立つのだ。

 

今のパート先の労働団体もそうだ。

1~2万しか稼いでいない時も、毎月、コンスタントに500円の組合費が強制徴収される。組合を辞めることは出来ない。

そのかすめ取ったお金が、すごい数集まって、

私の大っ嫌いな政党の候補者に流れる。

納得がいかない。

 

医師会、弁護士会、学術会議そういったものもそうなんだろう。

個々人の意思を無視して、所属しているだけで、団体化され、

お金を吸い取られたうえで、

勝手に、集団の意思として、利用される。

 

そんな仕組みをぶっ飛ばしたい。

 

デルタ株が蔓延して、大きな問題になって、

人々の行動が変わらなければ、

皆が困るのに、

全体の行動を変えることが出来ない。

 

全体に影響を与える力がマスコミにはあるはずなのに、

マスコミの信頼性がないので、

その役割を果たせない。

 

いつもの逆張り、いつもの政権の揚げ足取り、反日活動

利益誘導のための煽りだと思われて、

声高に訴えても、スルーされてしまう。

 

でも、デルタ株による、救急への悪影響は、

実際の現場から発信しているツイッターから、なんとなく感じていた。

 

次男の高校でのクラスターの広がり方が、

今までのコロナに関する、制御できる自信を簡単に崩し、

「今までと違う」という印象がうまれた。

 

そして、

ここにきて、

諏訪中央病院のデルタ株の説明を見て、

「あっ、そうか」と認識を新たにした。

 

従来コロナで私達が得てきた知見、

そして、それによって、

「この行動を逸脱しなければ、まぁ、かかることはないだろう」と

それなりの共通知見をもっている人の間では、

コントロールできるという自信、

リスクマネージメントしながら、経済活動、社会活動を行うことへの自信が、

「あっ、ダメだ。今までの認識では乗り切れない」

ということに気がついた。

 

フジロックも、24時間テレビも、パラリンピックも、

これまでなら、

私達は、胸を張って、乗り切ることが出来たと思う。

 

しかし、

 

デルタ株の蔓延する今の状況では、違うかもしれない。

 

ワクチンの広がりによって、

元の生活に戻れる人が増えると思ってきたけれど、

もしかすると、

そう思って行動する人が増えることで、

ワクチンを受けていない人の危険度はどんどん高まり、

通常医療はますますひっ迫し、

そして、

変異を繰り返し、

ワクチンも効かない能力をコロナがもつ

・・そんな悪循環と、ずっと暮らしていかなければならないのかもしれない。

 

生活スタイルは、もうコロナ前には戻らないかもしれない。

 

コロナが広がって、あきらめたものは、

もう、ずっと、再び戻ってこないのかもしれない。

 

学園祭、修学旅行、学生生活、歓迎会、送別会、フェス、夏祭り

地域のイベント、BBQ、カラオケ、飲み会、お盆、正月の集まり・・・

 

毎日の生活の中で、

人とつるみ、バカ騒ぎして、

楽しく交流し、

人とのつながりを感じる、貴重な機会

そんなものを失って、はや、1年半。

 

孤独で、刺激がなく、

人や共同体の一体感を感じることがなく、

ぽっかりと、取り残された感じ。

 

この空間がずっと続くのかもしれない。

 

ネット空間の中だけで、人とつながる。

相手の姿がはっきり見えず、

嘘が簡単にまぎれこみ、

なにが本当で、なにが嘘か判断する材料は乏しい、そんな空間しか存在しない。

 

こんなの嫌だ。

だけど、

こんなのしか、ない・・。

 

生きている意味ある?

 

手触りのない、匂いのない世界。

 

ほんと、コロナさえなければ・・と思ってしまう。