50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

同居提案について

主人と義母を避けたくなる理由は、

人の自由を奪うことを当たり前と思っていること。

 

人間的にも、素晴らしい人達だし、

いい人達だ。

好きな部分も多く、何かの縁で一緒になったのだから、ずっと一緒にいたいと思う。

彼らだから、ずっと長年つきあってこれたし、

ありがたいと思う。

 

しかし、

一緒にいると、理不尽なことに、私の選択肢はなくなり

自由がどんどん奪われていく。

お盆や正月、実家で数日過ごすだけで、息絶え絶えになる。

「一年に二度の親孝行だ。修行だ」と、

ルーティンを繰り返していた、遠距離に住んでいた頃。

 

近距離に住むようになってからは、

コロナ様々で、「避ける理由」が出来たので、

一歩離れて過ごすことが出来た。

 

旧来のシステムが強固に残った空間で、

嫁の自由がないことは、当たり前で、見えない役割を割り振られ、

自分の選択肢がなく、

せざるをえないことばかりを押しつけられていく。

 

そうやって、誰かの犠牲に成り立っている空間で、

滞りなく、全てが上手く回り、

それを当たり前のように享受する人たち。

 

私に「嫌だ」という権利がない。

 

結婚してから、

自分が好きなもの、大事にしたいものを、

人生のコマを進めるたびに、

「一番大事な何か」を守るために、

手放してきた。

 

結婚、出産したいから、「大事な仕事」「大好きな海外生活」を。

転勤で引っ越すたびに、

数年かけて、培った大事な子育て仲間を。

引っ越すたびに、「思い入れのあるもの」を手放し、

狭い住居で快適に住むために、私達のものは処分した。

そして、

自分を取りまく環境は、もう何もない、縁のない、ゆかりのないものになってしまった。

 

それでも、

一番大事なもの、子供や家族がいればいいと

そのわずかな光を頼りに過ごしてきた。

 

一方、

自分の大事なものを何も手放さず、

自分が年老いたり、忙しかったりで、自分で管理出来ないにもかかわらず、

大事な物を維持し、

自分の代わりに人に管理させようとする人たち。

 

「失いたくない良いもの」でも、

それを維持するためには、人の手が必要になったり、

多くの人の思いがあったりして、はじめて維持することが可能になる。

 

より少ない人数で、

より負担感の増すぎりぎりの状態で、

維持するために、

だれかにその重荷を背負わせる。

 

重荷を背負わされた人には

選択肢はない。

当たり前のこととして、

見て見ぬふりをされ、

嫌だと声をあげるには、命がけで闘わなければならない。

 

義父を失った義母との同居提案は、

義母を心底大事に思っている息子たちや

心配している周囲の親族たちにとって、

最適解なのだろう。

 

それを拒否する選択肢はそもそも残されていない。

 

そんなことをやって、

倒れたり、死んだりされたら、人でなしと罵られるだけだ。

 

だけども、それなら、

一番困っている人が、「人と住む」ことを選択したかわりに、

自分の大事にしてきた生活スタイルが変わったり、

好ましい状態を我慢するのはしょうがなくない?

一番助けたい人が、「助ける」ことを最優先に選択する代わりに、

自分の好みを我慢しなければならなくなるのは、しょうがなくない?

 

同居することで、負担感が一番増し、割を食う人が、

別のことで声をあげても許されてもよいのでは?

 

自分にとって居心地のいい、昔の人間関係、生活スタイルの中に、

ぬくぬくいるまま、

他人の選択肢や自由を奪っていることに気づくこともなく、

それを当たり前のこととして

重荷を背負わされた人のストレスや苦しみをなかったことにする。

そんなことが繰り返されて、逃げ場をなくす。

 

ずっと考えてきた。

父母義父母4人を結局私が見なければならない。

それは不可能だ。

負担感を想像しただけで押しつぶされてしまう。

 

だから、

訪問介護のヘルパーになり、社会的介護を学び、

社会の資源を使えば、最後まで一人暮らしが出来ることを学んだ。

社会資源を最大限利用し、

4人を見ていきながらも、自分の人生を捨てずに済むかもしれないと思った。

10年かけて、自信を深めていった。

 

背負いこまない。

最後まで、自分の人生をあきらめない。

自分の親も、主人の親も、

子供たちが納得できる水準で、

自分たちの人生や家庭を壊さずに、

生きていけるかもしれない・・そう思っていた。

 

それが、まさかの、同居提案。

同居したら最後、結局は、限られた社会的資源は使われることなく、

「嫁」というスケープゴート

押しつけられるだけじゃないか。

 

夫は仕事に逃げ、

誰もいない空間で、

1対1で残され、

社会的資源もなく、

目の前で困っていたら、

自分の自由な時間や空間がなくなり

逃げ場のないところに追いやられていって、

お互い精神的に疲弊していくだけの

隅っこに追いやられていく。

 

そんな中で、

自分の親の介護のために、

義母を置いて、見捨てていくことは可能?

 

間違った対処が、「人でなし」と罵られるだけの、

そんな逃げ場のない墓場に

追い込められていく・・・理不尽だ。

 

自分は笑って生きていけるだろうか?

 

自分のために生きたい。

人のためにではなく。

 

自分の選択したものを選び取りたい。

人から押しつけられるのではなく。

 

一歩さがり、距離を置けば、

周囲と同じように

「優しい対応」が出来るのに、

それを許さない、追い込み方をされると、

この人たちは酷いなぁと思う。