50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

マザコンの末路

長男の嫁という便利な存在があった時代、

親の介護や片親の死別など

家の問題が起こるたびに、

血もつなっがっていない、力の弱い立場の「嫁」に

面倒くさいことをすべて押しつけて、

見ないふりして、

綺麗ごとの言葉だけの感謝だけして、

すべてがうまく回っていた。

 

今、主人が残された義母の生活を心配し、

親孝行をしている気分になるために、

またもや、私を差し出そうとする。

 

主人の実家にいくと、

全ての雑事を背負わされ、

ただ働きさせられ続け、

それを親孝行ということで、

当たり前のように、

自分たちは、飲み食いし、

クダをまき、絡み、

年数回しか帰らないこと、

孫がいないこと、

仕事を続けていること、

都会生活を楽しんでいること、

そんなことをチクチク言われる。

 

自分たちは、私達以上の生活が出来る年金をもらい、

家もあり、悠々自適な老後生活をしているのに、

日々、教育資金で息も絶え絶えの家計を回し、

細切れ時間のパートで体力を擦切らし、

孤立育児で、旦那不在の日々を回しながら、

無理を言って、休暇を取り、

往復10万以上もかけて、帰省しているのに、

「お前ら、何様だ!」という状態。

 

昔と違って、余裕のない、精一杯の生活をしているのに、

そんな違いを見ることもせず、

そんなことになっているのが、あなたたちの年金を支えているからなのに、

これ以上に、自分たちの平穏な毎日に、楽しい刺激を与えてくれないのは、

酷い!というばかりに、

さらなる、サービスを求め続ける。

 

日々の生活に苦労せずに、

お金に頭を悩ませることなく、

自分たちの住む場所を追い出されることもなく、

今、手にしているものが、奇跡に近く、なかなかみんなが手に入れられないものにもかかわらず、

自分たちばかりが我慢しているような不満を言う。

 

夫もそう。

終身雇用、厚生福利、給料もボーナスも、

一旦レールに乗って、そのレールを下りない限り、

きちんと支払われる賃金。

その額をパートで得るには、

何を犠牲にしなければならないのか、

どんな「特別」なら可能なのか、

子供たちが同じようなものを得ようとすると、

それは不可能に近い、恵まれたもので、

競争を勝ち抜き、闘い続けられる者だけがのみ手に入れられるもので、

それを「周りはほとんどこう言う」とか「これが普通だ」

「お前の考えは、異常だ」という言動で、

私の意見を封じ、自分の思うように、物事を決めていこうとするけれど、

今の世の中、

そんな「普通」は稀で、幸運にもまだ侵されていない「昭和の価値観」の中だけで、

存在していることであり、

消え行くものだから、

そこを基準に、後戻りできない、これからを選択することに、

私達はついていけない。

 

まぁ、昭和の価値観のままに、

残り少ない人生を終わるのもいいだろう。

だけど、

これからのある、子供たちや、私達までも、そこに引きずり込むのは間違っていると思う。

 

どうしても、一歩たりとも、その価値観の外に出られないのであれば、

私たちと違う道を歩まなければならない。

そして、

大好きなお母さんと一緒に、沈みゆくしかない。

20年過ごした私達よりも、お母さんが大切だというのならば、

それは、しょうがない。

元々、そうだろうなと思っていたし、

そこから抜けられないから、

私達に対しても、責任感を持って、辛抱強く、守ってくれてきたんだし、

それはしょうがないと思う。

 

だから、絶対嫌だと無理は言わない。

お義母さんがいなくなったら、

生きる意味をなくしてしまうんじゃないかと心配するほどに、べったりの関係だから、

それを外からとやかく言うつもりはない。

魂を共有しているのは、お義母さんとで、私とではないから。

 

私が、自分の親に対して、思う気持ちと同様に、

主人が、自分を支えるもっとも大切なものとして、自分の親を考えることを

止めることは出来ない。

そういうもので、そういうものだから、結婚できたのだから。

 

自分が義母を第一に考えるのを、

同じように、私に強制するのは違うと思う。

私にとって、義母は、単に、夫の親で、

だから、不都合が生じない程度に、支えようと思っているわけで、

大事さは、単に、20年前に知り合い、年数回、ただ働きさせられた知り合い程度のものだから、

自分の親より大切でないし、自分の子供や自分の生活のほうが大切だし、

自分を支える大切なものがきちんと守られている限り、

余裕があれば、手伝ってあげるよ!くらいの気持ちしかない。

 

自分の生活よりも、自分の命よりも、

大切だと思っている、夫とは温度差がある。

 

夫が、義母中心生活に突っ走るを止めようとは思わないし、

まぁ、とはいっても、

介護や親の老いは、子供にとって、先のない、かなり精神的にしんどいものではあるので、

親の老いを忘れて、逃げかえることが出来る、普通の生活を続けている、私達の生活空間を居心地の良いものにして、待ってあげようと思っていた。

不在でも、世話してくれなくても、気にかけてくれなくても、

きちんと存在し、

きちんと生活をしている、そんな家族生活をしようと思っていた。

 

それが、

完全に、揺らいでいるのです。

 

一緒くたにして、自分は大きな仕事をしたつもりになって、

スケープゴートの嫁を置き去りにして、

逃げて、安心する・・そんな生活をどうしても夢見てしまうようなのです。

 

精神的な死か、従属か、そんなところに追い込まれたら、

自分を守るために、敵認定してしまいます。

私が敵認定してしまうと、生存をかけた闘いですから、

お互い、倒れるか、倒されるか。

そんなことをやったら、どちらに転んでも、

不幸です。

 

みんな幸せになる方法はあったのに、

間違った方法を取ったことによって、

みんなが不幸になる。

そういうのは、嫌だなと思います。