49日が行われた。
義父が亡くなり、独居になった義母。
嫁が仕えるのが当たり前と思っている、田舎の高齢者。
90を超えた義父のお姉さんは足腰が悪く、
動くのがやっと。
それに仕えるお嫁さん。
旦那は、ぼーっと、ただ自由気ままに振舞うのに、
甲斐甲斐しく、手を貸し、トイレに連れて行き、
影のように、
動き回る。
そんな姿を見て、
周囲は、お嫁さんには人権も、疲れもない、
ただ、いないと困る、便利な道具として扱い、
命令するのみで、感謝を述べることもなく、
疲れをいたわることもなく、
声をかけることもない。
そういう姿を見て、
「私にはなぜ、そんな傅いてくれる便利な「嫁」がいないのか?一人なのか?」と
思ってしまう、義母。
私も、出来ないこと、困っていることは
しょうがないので、手伝うけれども、
普通以上を求められたり、
人の時間やエネルギーを無駄に消費するような、ケアを求められたりすると
ちょっと違うと思う。
私のほうが身軽に動けるから、
みんなと同じように、
飲み物を出すけれど、
自分だけ、特別に、手間暇かけて、心のこもった、美味しい、熱々のお茶を・・なんて
望まれると、
あんた、何者よ?
こっちは、バタバタ走り回って、あなたの面倒くさい意向に振り回されて、
体調壊しながらも、働いているのに、
座って、命令と、指示ばかりしているあなたのために、
お湯を沸かして、特別なお茶ですか?
床掃除をしろというので、
クイックルワイパーがないのか?ハンディモップは?
ないようなので、こんど買ってきますね!というと、
「買う必要はない。ヘルパーは、膝をついて、床を磨き上げる!!」と嬉々として言う。
だから、私にも、そうしろというのだが、
自分は、高い椅子に座って、見下ろしながら、
人のやっていることを、あーしろ、こーしろと
指示を出すだけ、
自分の思うように、人を動かしたい。
自分の命令を聞かせたい、
自分は高齢者なんだから、
自分は独居なんだから、
特別に扱ってもらえるのは当たり前だ。
ヘルパーや嫁が傅くのが当たり前で、
そうでないと、不安に感じてしまう。
そんな状態が、気持ち悪い。
私がヘルパーをしていても、
買い物で一緒に歩いていると、
嬉々として、「この人、ヘルパーなの。荷物を持ってくれるの」と
会うお友達に言って回る、メンタルに問題のある人はいる。
自分が特別だと、マウンティングとるために、
他人が傅いている姿を利用しようとする、気持ち悪い精神状態。
そんなのを、甘やかして、注意することもなく、
野放しにし続けている、息子たちも気持ち悪い。
だから、離婚されるし、
母子べったりで、社会からとり残される、8050問題がうまれる。
最低限は・・と、
独りで、数時間かけて、庭木の刈込をしてあげても、
自分の思うとおりに出来てないと
私の指示を聞いてから、やって・・という。
全然、興味ないし、
したくもないし、
時間がかかって、面倒な作業なんですが、
このために、仕事早退して、車数時間走らせて、
バリカン買って、
汗だくだくでやって、
「ありがとう」でなく、仕上がりに対する文句ですか?
義母のこだわりまでつきあえきれないと、
お金があるのなら、お金で解決すれば?と、
様々な選択肢を示しても、
全て却下。
あ~したい、こ~したいと、
これまで通り、自分の望む通りでないと、
文句ばかり言う。
こんなに、ひがんでばかりで、
人の善意に、ケチばかりつけていると、
周囲に人はいなくなりますよ。
三姉妹の長女で、
自分の息子の嫁が思うとおりに動いてくれないから、
そのストレスの発散は、自分の妹たちに向かう。
妹たちも、良かれと思って、動こうとしてくれているのに、
あ~だ!こ~だ!と、
自分のおもうとおりにならないと、
文句ばかり言って、ケンカになっている。
昔の当たり前と、
今の現実的な当たり前とかけ離れているので、
現実的な観点から、意見を言うと、
それも拒否。
なんか、近づいたら、面倒で、
こちらのエネルギーを無駄に消費する。
自分の思うとおりにならないことにストレスを感じるのなら、
やりたいようにやればいいと思うけれど、
弱者を見捨てるわけにはいかなくて、
巻き込まれてしまう。
あ・・・面倒くさい。