先日、53歳になった。
誕生日当日、仕事がたくさん入っていた。
いつものとおり、利用者さんのトイレ介護をし、風呂に入れ、
ずぶぬれになったズボンのまま、
主人から頼まれていた、雑用をこなした。
主人は出張から帰ってきて
一言「誕生日おめでとう」と言ってくれた。
ケーキは週末にということだから、まぁ祝ってくれたことになるかな。
次男は、朝早くから夜遅くまで学校や塾に行っていて、
足が攣った!!とラインが入ったが、迎えにも行かず、
夜遅く帰ってきた。
夜遅かったから、何も残ってなかったけど・・といって、
コンビニで買ったおいしそうなデザートを手渡してくれた。
私が絶対に買わないような、少しだけお高めのデザートだ。
嬉しかった。
長男は、きっと忘れている。
なにも覚えていない。
昼過ぎまで寝て、ゲームをし、夜遅くに寝た。
例年、フェースブックでお誕生日を祝ってくれる友人たちからは、
ここ数年、私がフェースブックを開かないので、なにも言ってこなかった。
昔、昔の大切な人から「おめでとう」というさりげないメッセージだけが届いた。
コロナや国際情勢で、
お互い心配しあっているけれど、そんなこと打ち明けあったって、しょうがないので、
ありがとうという返事だけ残した。
ほんと何もない誕生日だった。
私自身が忘れてしまうほどに、平常運転の誕生日。
花束も、わくわくも、豪華な食事もなにもない。
特別感の全くない誕生日。
いつものように、甘いものを過食して、
疲れて、眠った。
すごく昔の、もう亡くなった親族が出てくるような夢を見た。
過ぎていく昭和
平成さえも、過去のこと。
そして、新しい令和に期待する、キラキラした未来はなく、
ただ、振り落とされないように、必死でしがみついている未来。
さぁ・・どんな1年になるだろうか。
これまでのストーリーではなく、
新たなデータという正解と答え合わせしながら、政策が決まっていく未来。
データに恣意が加わらず、
素直に信じられるものであれば、
物事はスムーズに流れだすのだろうか。
恣意的にゆがめられていたからこそ、
私達の安心があり、幸せが担保されていたのかもしれないのに、
そんなもの、とっぱらって、現実(リアル)と向き合わなければならない。
しんどいだろうな・・と思う。
すり減って、疲れ果ててしまう前に、
ちょっとほっとした空間で、自分の居場所を確認出来たら嬉しいなと思う。
53歳。
さぁ、一歩一歩です。