50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

ケアの不足 沙也加ちゃんのこと

お母さんが赤ちゃんを世話する。

子供を、家族を気遣う。

見守る。心を寄せる。

地域で見守る。気にかける。

親族に頼る。面倒をみる。

 

そんなすべてに’ケア’が関わっている。

 

弱い時期、弱っている時、誰かが’ケア’してくれるから

安心して生きていけて、

充電で来て、

再び立ち上がっていける。

弱った自分も受け入れてもらえる場所があるから、

弱り始めたときに、ひきこもって休憩することが出来るし、

頑張り過ぎて、充電が必要な時も

しっかり充電することが出来る。

 

そんな場所があることが、

そんな時間があることが、

年々、とても稀なことになっていって、

希少なものになってしまって、

今、多くの人が、そんな場所もそんな時間も持てないままに、

頑張り続けることを強要されていて、

頑張り続けられない自分を受け入れてくれる場所はなくなってしまってきて、

小さなときから、

希少なケアをお願いするときは、高いお金を払って、

そのために多くのものを犠牲にして、

ようやく手に入れることが出来るものとなってしまった。

人々はいつも充分なケアをあたられることはなく、

他の人より悲惨だと!精一杯アピールして、

他人の被害者意識を刺激して、

闘って、勝ち取って、はじめて、手にいれることが出来るのが、

公的な最低限のケアで、それだけしかなく、

そこしか頼ることのできない人ばかりになってしまってきていて、

社会全体が苦しい。

 

昔は空気のように当たり前のように存在していた、ありふれていたケアの領域が、

無償でなくなり、

金銭換算されるようになり、

お金になるものを無償で無制限に人に与えることをフリーライド、自己犠牲として

バカにされるようになっていき、

金の払えないものには与えられなくなり、

空気のように当たり前にケアが存在しなくなったことで、

人々が窒息し始めている。

 

ケアのない世界では、人々は孤独で、生きる意味のないもののように感じる。

弱った人は、見捨てられるだけだから、

なにかに躓いて弱ってしまったらお終いで、

なにかに躓くことを極度に恐れるから

その領域に誰も手を差し伸べないし、近づかなくなる。

見て見ぬふりをしないと、不安だから、誰も見ないようになる。

 

多くの者が、躓いてしまったら、社会の片隅で孤独にひきこもるしかなくなって、

社会に憎悪をむけるか、

社会とつながりを絶って、死んでいくだけの孤独に陥るしかなくなってしまう。

 

多くの人々が、社会の一員として健全に再び立ち上がることが出来ずに、

弱り続け、怨嗟を吐きだしながら、死に絶えていく。

 

30代の沙也加ちゃんが自殺した。

私達の時代の聖子ちゃんと沙也加ちゃん、

目指したものも、能力も、

がんばりも、

ほとんど同じだとおもうのに、

一方は、夢をかなえ、一方は夢やぶれ、自殺した。

 

女の子にとって、

ある時期、

「子供が欲しいな」と思うのは当たり前の気持ちで、

仕事で成功しても、

恋愛に生きていても、

許されるならば、

安心して、子供産み、DNAをつなげていきたい・・

安心して子供を育て、

子供が育ってほしいと思うのは、当たり前の感情だと思う。

 

子供が出来た、母親になれるかもしれない

その瞬間は、ほんとに嬉しいと感じる。

 

子供が出来たことによって、

育てられるのか?

環境は?パートナーは?

仕事は?

お金は?

いろいろと、考えだすと困難だらけで、

何一つ上手く行かないような絶望的な気持ちになるけれど、

それでも、そんな困難を乗り越えていけるような

自分に眠っていたパワーが湧き出るような気持ちさえする。

 

そんなことを経験する時期に、

聖子ちゃんが乗り越えたことを、沙也加ちゃんが行き詰ってしまったのは、

頼れる、ケアの担い手がいたかどうかの違いだと思う。

 

自分の大事な何かを、信頼して、託して

安心して

自分の仕事に邁進できる、

社会に出て、闘い続けるためには

その思いを託せる、後方部隊としてのケアの担い手が本当に必要。

 

聖子ちゃんには子供のためになんでも引き受けてくれるお母さんがいたから、

大事な沙也加ちゃんをお母さんに託して、

聖子ちゃんはあきらめずに、闘い続けられたのだと思う。

 

神田さんの母親が死に向かっていく頃、

2人は離婚した。

 

子供の世話は自分の母親が自分の代わりに担ってくれたとしても、

夫の親の世話は、やはり、夫だけで担えないと

妻にものしかかってきて、

そこに自分の代わりが不在だと、

互いに、余裕がなくなり、不満が蓄積する。

 

不倫は、その対立構造から、自分を避難させるために、

自分を充電するのに、

必要な逃避場所であっただろうし、

そこに、マスコミが油を注がなかったら、

そのまま乗り越えられたかもしれない。

 

時間が経つと、

親も亡くなり、

再び一緒に歩めたかもしれないのに、

彼女たちには、それが出来なかった。

スターだったから・・。可哀そうに思う。

 

引き裂かれて、

自分で立ち上がるのに必要だったのが、

ビビッと婚。

 

そっち方向に無理やり自分の鼓舞するのに、

アメリカに行かないといけなかったのだろうし、

その結果、

娘のケアを担ってくれるものがすっぽりとなくなってしまった、

誰も手が出せない、真空空間に

ただ一人残されてしまったのが、

10歳沙也加ちゃんだ。

 

アメリカ移住。

祖母からも、父親からも、友人からも、日本語からも切り離されて、

辛かった子供。

そこから、苦労して、苦労して、

どうにか、立ち上がって、

母に頼り切って、

それではいけないと気づいて、

突き放して、

その結果、

どうにか自分の足で立ち上がって、

少しだけ自身がうまれて、

 

気がついたら、35歳になっていて、

親も年を取って、

自分が今度は、難しくても、母親になる番だと感じ始めていたのだと思う。

 

仕事が確立してきて、

自信がもてるようになって、

でも、

10歳の沙也加ちゃんのような気持ちに

自分の子供にさせてしまうのは絶対に嫌で、

でも、

もし、子供が出来ても、

聖子ちゃんのように、自分が出来ない時は、安心して丸投げできる、

信頼できる、自分の代わりのケアの担い手になりうる、

自分の母親はなく、

祖母は年を取り、

皆、自分のことで精一杯で、手を差し出してくれる余裕はなく、

躊躇してしまった最初の結婚。

 

仕事、仕事、そして、自分の確立

そこにいっぱいいっぱいの自分に、

ヒモ状態になってしまった夫は、

子育てに前向きだといっても、

聖子ちゃんブランドにぶら下がりながら、

身を持ち崩していった、ビビット婚の歯医者やジェフのようになってしまうのではという嫌悪感や不信感はぬぐえず、

 

そこに新たな共演者に

騙されたのか?

成り上がりたい男子の無鉄砲さ、無神経さに

のってしまった末の破綻。

 

今回も同じような感じだろうけど、

子供ができたのかもしれないし、

夢見てしまったのかもしれないし、

期限がいろいろきてしまって、

ちょうどよいタイミングが重なって、

 

30歳男子の勇気、心の準備が整わないままに、

一方的にいろいろ突っ走ってしまって、

 

無知で、覚悟もないのに、

手を出した奴も悪いけど、

小室さんと同じことで、

なにも引き継いでいない、重みに直面したこともない、

責任感におしつぶされたこともない、身軽さにひかれてしまったのかもしれないけど、

行き詰ってしまったのだろう。

 

彼女が窓の外に身を投げ出した気持ちは分かるような気がする。

 

何を、どう自分の中で切り替えたら、

彼女は死なずにすんだのか、

私には分からない。

 

あの状況で、

母親のことを言われた人に、

ステージ上で、笑顔で振舞うのは、

心が悲鳴を上げてしまって、

どうしても出来なかっただろう。

 

万が一、赤ちゃんがいたのなら、

どうやっても、幸せになれそうな未来がなくて、

第二の10歳の沙也加ちゃんを作りたくなくて、

でも、

それを助けてくれる人はどこにもいなくて、

 

でも、

35歳、今諦めたら、子供はもう産めないかも

10歳の沙也加ちゃんを救ってくれるような、幸せな家庭を自分の子供に与えることもあきらめないと行けなくなるような気がして、

71歳になる父親、

老いた母を抱える母親

そんな大事なものを笑顔に自分が出来る幸せも夢見てしまって、

 

それでも、

 

父親になること、

結婚すること

自分の持っている責任や重みを

押しつけてしまうことに

躊躇してしり込みしている30歳男子に、

強要するのも違うと分かる自分もいて

 

行き詰ってしまったのでは?

 

安らかにね、沙也加ちゃん。