人が自宅に訪問する。
そこで、医療や福祉サービスを受けられる。
相手の領域に、サービス提供者が入る。
医療や福祉は、「人権」や「最低限の暮らし」を維持するためという
根本があるので、
困っている人のSOSを無視することが出来ない。
見たのに、見ないことにすることが、即、職をはく奪されたり、
訴訟対象になってしまったりという、窮地に陥らされてしまう。
現場にいない、上級国民の立場から、
「あーだ、こーだ」いう人が世の中にわんさかいて、
自分たちに火の粉が降りかかることが嫌なので、
困っている人の側に立ち、正義のこん棒で殴りながら、疲弊した現場に無理強いをする。
現場にいる人が、
その人の置かれている困難な状況を
なんとかしようと、
頑張るのだけれど、
資源もお金も、人員もなく、
ただ、その場にいるものの、無償の自己犠牲だけで
なんとか回しているときに、
正義のこん棒に味を占め、
自分のことしか考えていない、最強弱者のモンスターに
出会ったら・・最後。
精一杯の善意を、
足りない、足りないと要求され続け、
隙を見せたら最後、
他人の分まで甘い汁をすすろうと、
からみとられてしまう。
日常生活では、
そんな人とは、距離を取り、
接点を作らないことで、
自分の人生を守ることが出来るのだけれど、
医療や福祉の従事者は、
こちらに拒否権がない。
相手が「困った」と言えば、赴き、
相手の納得するまで、
相手の話を聞き、
隙を作らないよう、身構えながら、
膨大な時間とエネルギーを吸い取られていく。
訪問診療で、撃たれ、亡くなった事件をきいて、
「ありえることだな」と感じた、訪問系医療職、福祉職の人は多いと思う。
負の怨嗟を充満させ、朽ち果てようとしているような空間に、
仕事だから・・という理由で、
入っていかなければならない。
一般の人たちは、家族も含めて、
彼らの困難を自分の人生から切り離し、
見捨て、見ないふりをして、
世の中の明るい側面、死と無関係のキラキラした場所で生きていこうとするので、
彼らは、
訪問で家を訪れる、私たち以外の人との接点を全く持たずに、
暗い、異臭漂う、じめじめした空間に取り残されている。
おむつを替えてくれる人もなく、
食事は据えた臭いを発し、
ただ、誰かが来るのを待っている。
一緒に住んでいる家族は、
その人が亡くなっていても気づかない。
不安で、ストレスがいっぱいいっぱいで、
ちょっとした会話の何が、
地雷になるのか分からないような、緊張度の高い空間。
そんなところに、
たった一人で足を踏み入れなければならない
仕事って
どうよ?
月1万にも満たない給料もらって、
その中から、組合費だといって500円以上も強制的にひかれ、
その活動費で、
自分の全く相反する意見の活動家の選挙資金に充てられる。
地雷案件の現場責任を
一手に押しつけられて、
自分の生活の質、駄々下がりになってしまっても、
拒否が出来ない。
代わりの人員はいないし、
代わりの事業所もない。
休みたい日に休むことも出来ない。
最悪、地雷案件を抱えた瞬間、
その地獄から逃げ出すには、
仕事自体を辞めるしかない。
「人権」を声高に叫ぶ人たちが多くなればなるほど、
普通の人たちの老後のセイフティネットは崩壊が加速する。
医療も、福祉も・・。