つまらない毎日だと思う。
一日中、ネットみて、他人とほとんど関わらず、
数少ない関係者は、認知症や死に向かっている人ばかり。
自分の能力を精一杯使って、
周囲と認め合って、
助け合って、
交流して、
そして、過ごしていた日々が懐かしい。
ここんところ、主人の給料が下がって、
物価は上がり、
私にできるのは、節約だけで、
毎日、お金を使わないように過ごしている。
何か新しくしたいことに意識を向けると、
行動するたびに、お金が出ていくばかりで、
何もしないことが、一番、お財布に優しいと感じる。
東日本大震災の後は、子育て中だった。
その頃は、社会から離れていても、
ネットというつながりがあれば、大丈夫だと思っていた。
海外に住む友人たちともつながって、
沢山の人とつながることに刺激をもらっていた。
毎日リアル社会で仕事に追われて、ネットにどっぷりつかっている暇のない人達よりも、私の方が、時間がたっぷりあって、ネットにつながり放題で、
自由に、世界中の情報を追うことが出来て、
こうゆう生活もありだと思っていた。
香港のデモが始まって、2019年夏から、半年間。
その場にいなくても、私達は闘える。
好きな世界を守り通せる!と信じていたけど、
ネットという土台、
自由に、意見を言っても安全だという保障
そういう自由の土台を封じられたら、
私達は無力だと痛感した半年間だった。
国際関係を長らく勉強してきて、
実際、海外生活もしてきて、感じていたこと。
現在を生きる私達の間には、
お互いにある種の信頼関係があって、
それぞれの文化との小さな軋轢があったとしても、
同じ技術革新をうけて、
グローバルな価値観が広がっている今を生きる私達の間には、
同じものを良いとおもい、
それだけはしてはいけないという、ブレーキがちゃんと存在していると信じてきた。
それが、ここ数年で壊れた。
アメリカが自分たちの大統領選という闘いに勝つために、
やすやすと超えてはいけないボーダーを超え、
長年見て見ぬふりをしていた反日教育の成果か、
中韓の若い世代が信じている日本観は、
戦時を知っている世代よりも、お互いに受け入れられないほどゆがみ、
先鋭化していく。
ウクライナ侵攻を経て、
情報戦というハイブリットな闘いの中では、
ネットの中の情報が、
真実なのか?嘘なのか?さえも分からなくなってしまうのを目の当たりにした。
テレビだけでなく、
ネットさえも、
多くの目で実際に見た、素直な視点から発された情報としての信頼性よりも、
AIや大量のデータ収集の結果、そして、それが恣意的にゆがめられた、そんなものが溢れ、
”私達の情報”ではなくなってきた。
大量のデータ結果に右往左往される社会。
人口の多い、若者多い国の意見が、政策決定に力を及ぼす。
これまで、
多くの犠牲を払いながら、
歴史を積み上げて
かろうじて作ってきた均衡は、
知識も歴史もない、
ただ、「金が欲しい」「贅沢したい」という
単純な動機だけで、バカが牛耳る、世界になっていく。
「若い」「綺麗」が単純によい!
「儲かる」「自分に金が入る」
その単純な動機で、全てが、推し進められていく。
自分の劣等感が払しょくされて、
国の自尊心が高まる、気持ちいい!
それに沿ったものを推進することが、政治家に求められるものになるし、
そのためには真実はゆがめられても良いものとなる。
それらを妨げるものは、敵になり、蹂躙していいし、
略奪してもいい。その強さは正義となる。
日本が今まで通りに、
中ソの理不尽さや横暴に対抗する、民主主義の価値観を大事にするために、
国境を緩め、
人権を唱えられると、スパイや悪意を排除できず、
限りある富を流出させながら、現状維持が精いっぱいの対抗手段となる。
その結果、困るのは、
これまでシステムで守ってきた弱者である「日本の高齢者たち」。
氷河期世代も、
既得権を維持するために、コストとして教育機会をカットされ、
使えない集団になっているのだから、貧困は加速する。
そういった、機会の与えられなかった、弱者が主流となる。
これからの日本は、富が流出していくばかりで、
反日国家に操られやすい土壌がうまれる。
長い間、
こつこつ、こつこつ、頑張ってきた普通の人たちを
「弱者」として、
切り捨てていく未来しか見えない。
そういう現状認識の今、
私は、なんだか、頑張る気が起こらない。
夢を持ったり、
意味ある人生にしようと頑張ったり、
毎日を充実させようしたりする気力が湧きあがってこない。
息子たちの未来を心配しながらも、
彼たちが、今、データとして、このくらいの位置にいて、
その結果、未来は、これくらい働かされて、
これくらい給料をもらい、このくらいの幸せに手が届くのが精一杯だろう、
と・・今のカテゴリー分けで、なんとなく見えている。
今、「勝ち組」になる要素のない彼らに、
今、尻を叩いて、
したくない努力をさせる必要があるだろうか?
今、ゲームして、朝起きれなくて、
ダラダラすごしている高3だけど、
彼が、今、すっごく頑張っても、
東大に入れるわけではない。
医学部に行けるわけではない。
生活コスト考えると、
地元のしょうもない大学行って、
就職は、地元にある、ブラック企業に勤めて、
結婚なんて、つきあうなんて・・無理!という年収で、
そのまま、
身体をこわさず、精神病まず、なんとか、
自分をごまかしながら、年取っていかないといけないのなら、
今、したくないことを無理やりやらせる必要があるだろうか?
私が今、暇だからという理由で、パート仕事をガンガン増やし、
精一杯稼いだとしても、微々たるもので、
その分、
正月も盆もなくなり、体調管理も出来ず、
他人のしんどさに心底振り回されて、
給料に見合わない大きな責任を押しつけられて、
逃げ場を失い、
辞めるか?訴えられるか?自分が倒れるか?というぎりぎりに追い込まれてしまう未来しか見えない。
それなら、
今のように、拒否できるポジションで、
自分のしんどくない分量だけ、
働いているほうが長く務めることが出来る。
長く健康で、充実した生活を保つことが出来る。
でも、
楽をしている分、
仕事から得られる知識も、ポジションもなく、
この年になっても、成熟できない焦りはある。
このまま老いていくのはつまらんなという自分もいる。
一生懸命何かをしていないから、鬱々する。
その鬱々が夫に向かう。
子供にもそんな自分しか見せてないのは嫌だと思う。
コツコツ、コツコツ、あきらめずに、
目の前のことをしっかりやってきた人だけが持つ、充実感や成長していく自分。
そんなことを考えると、これから、どうしようかねぇ・・と思う。