去年の今頃も、コロナで救急車がなかなか搬送先を見つけられないという事例が出ていた。
コロナ対策で、まともにお盆を過ごせず、
片付けだけに訪れる私達に不満そうだった義父。
その後、急な吐き気に、自分で救急車を呼び、
自分の足で救急車に乗ったものの、
搬送先が見つからず、
救急車内で意識がなくなり、そのまま亡くなった。
コロナではなかったが、
こういう搬送困難の時期でなければ、死なずにすんだのではと思う。
急なことで、
義母も
義母を支える息子たちのショックも大きかった。
そのショックにいやおうがなしに巻き込まれる私や義妹も大変だった。
フラフラの義母。
義母を心配するあまり、勝手に、いろいろと大きな決断を勝手に決める夫。
同居、家の改装
息子の受験年。
今後、息子たちが一人立ちして、家を出ていき、
主人も退職。
老後の生活をどこでどのように過ごすのかを
自分の老後を見据えながら、じっくり考えたいと思っていたところ。
それを、一番忙しい、この時期に、
バタバタ決めなければならないことに、腹が立ってしょうがなかった。
社宅は、あと5年入れるはずで、
同じ市内に社宅はあって、いままでよりも、簡単に義母宅に顔を出せるのに、
その数十分が心配だと、
同居を勝手に企て、
しかも、
義父のデザインした家を一切触らせず、
そこに、私達4人を押し込もうとする。
生活時間の違い、
空間占有率、物の多さを考えると、
お互いに、すごく我慢しあわないと、なりたたない生活。
私は、数日で、家を出る考え始めるだろうし、
息子の受験時に、そんな無理筋なことをしたくない。
同居
それだけを強く望むのであれば、
それなりに、義母にも歩み寄ってもらわなければならない。
しかし、
よろよろの義母に、新たな試練を与えるようで、
義母の思うとおりに何事も進めようとする。
ショック状態の義母に、なにか新たな負担を与えるのも鬼畜だ。
無理筋。
本当に無理。
物事が進むにつれ、義母も同居は無理と判断したらしく、
却下。
良かった、酷いことにならなくて。
でも、
夫の暴走は止まらず、
今度は勝手に、近くのマンション購入計画を立てる。
マンションという一生に一度の大きな買い物。
それを、勝手に進める。
1年、2年先という話ではなく、数か月後までに引っ越しという強硬手段。
実際、社宅を出たら、どこか住む場所を考えなければならないとは思っていた。
しかし、
親たちの不動産もあり、
介護もあるだろうから、
どこに住むか?
その後の、自分の老後を考えると、
いろいろ考えたいことは沢山あった。
それをするッと無視して、
彼の頭にあるのは、
「母さんの側が安心」
それだけ。
今後の資産価値や
間取り、
私の親の遠距離介護など、
まったく無視して、決定。
購入するときになって、
お金を出してと言い出す。
子供たちの受験費用や、大学費用。
老後に必要だろうと、コツコツ貯めてきたお金を出せという。
実際に、動きながら、
「まぁ、許容範囲か・・」とどうにか自分を納得させながら、
仕事を辞め、
生活拠点を移し、
新たに、ド田舎で仕事をはじめ、
手の中にあったのに、なくなってしまったものを寂しく思いながら、
手に入る中で、どうにか、自分が納得できるものや、
自分が好ましいと思えるものを模索して、
なにもなくなってしまった毎日を、
なんとか、自分で立ち上がって
日々を積み重ねている・・そういうとこまでたどり着いた1年。
主人に対しては、まったく期待はしなくなって、
いるだけでいいかと思うようになり、
人生の楽しみを共有しようとは思わなくなった。
笑顔や会話もなくなったけど、
怒りや腹立たしさも感じなくなった。
それが寂しいかと言われれば寂しいけど、
見るだけで憎しみが湧くほどの怒りが湧いてくる方がしんどいので、
空気のようにあるだけのほうが
良いと思う。
まぁ、親が死ぬという渦中にあって、
心が折れそうな中で、
そのしんどさを私達に向けることなく、
ひとりで処理してくれたので、
私達のことを全く見ずに、勝手に
決め、勝手に、物事を決めたことに関しては、
まぁ、そんな余裕ないくらいに、
しんどかったんだろうなと思えるようになった。
私はしんどくない。
そこまで自分の人生に絡まった大切な人ではなかったから。
少し離れた場所にいるから、
義父の良い思い出や、ご縁に感謝できるだけで、
いなくなったことに、
自分の支えが揺らぐほどの衝撃はない。
介護で私の時間やエネルギーを吸い取られることもなく、
良い思い出だけ残して、
亡くなった義父には
感謝と心温まる思いでしかない。
死の衝撃で、ふらふらになっている義母と
同じように感じることはないし、
所詮、他人事。
他人でいさせてくれて、ありがとう。
そこは、
この1年間の夫と義母、義弟に感謝している。