50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

子供を正したければ、自分を正せよ。

息子たちを見ていると、焦る。

一日中ダラダラ寝て過ごす。

TPOにあった服に着替えたり、

身だしなみを整えたりしない。

活動的でない。

バイトしない。

新しいことに挑戦しない。

食事がおざなり。

健康に気を使わない。

自分の能力を高めようとしない。

なにかに挑戦したり、

建設的に時間を過ごさない。

 

側にいて、焦る。

このままじゃだめだと思う。

私の教育が悪かったのでは・・と子育ての失敗を悟る。

まだなんとかなるのでは?と、

手を放し、見守るだけの自立を夢見ながらも、

ついつい口うるさくいってしまう。

要らぬ計画を勝手に立て、

あれしろ!これしろ!と言ってしまう。

 

母親の言うとおりに、とりあえず動くけれど、

それは自分で必要だと気付いて始めたことではないので、

すぐに辞める。

母親が飽きた時点で、すぐに辞める。

 

そうやって、母子共に、

似たもの親子で、

なにかせねば‥と他人事は気になるのに、

私も自分のことは手つかずばかり。

 

太る。

甘いもの減らさなきゃ。

柔軟しなきゃ。

仕事しなきゃ。

肌の手入れも、髪を洗うのも、

理由がなければ、何もしない。

ちょっと疲れたら、今日は休み!と何もしない。

 

自分を甘やかして、

自分の気分をあげてくれる、お菓子ばかり買い物かごにいっぱい入れて、

ソファーに寝ころびながら、

一日中、ダラダラTVつけて、

くだらないと思いながら、

スマホをいじって、

退屈したら、冷蔵庫を開けて、

お菓子ばかり食べている。

 

今日も何もしていない。

この1週間も、

この1か月も何もしていない。

頑張ってない。

新しいこともしていない。

代り映えしない毎日。

 

動かな過ぎて、鬱々とする毎日。

 

人との交流もないから、

たまに人と話すと、

自己中心的な話し方になったり、

同じ話を繰り返したり、

社交が出来ない。

 

風呂に入るのが面倒だ。

髪洗いたくない。

同じ服を繰り返し着ている。

朝、二度寝する。

出かけたくない。

 

まさに、私がやっている日常を

息子は同じようにやっているだけなのだ。

 

自分が変わるしかない。

 

仕事や学校、役割と言った

どこか自分以外から与えられたスケジュールに乗っかって、

動いていた毎日から、

日々のスケジュールが自分次第になった時に、

私には、中心がなかった。

 

なにもかも、「しなければならないこと」を捨て去って、

自分がしようと思ったことをしようとしたとき、

長い間、自分以外の何かにそういった動機を委ねていたので、

自分から選択するのは、

「しない」というネガティブな行動しか残らなかった。

 

「したいこと」「好きなこと」

日常生活に、コツコツと自分のために、

自分の心に栄養を与えるように、

繰り返すような趣味がなかった。

 

他人から与えられた刺激にすばやく反応することは

やってきたけど、

その動機は、「他人がいいねと言うから」という他人目線の動機で、

自分自ら、他人の意見を気にせずに、

まっすぐに、自分が好きといえるものが、

私は持ってない。

 

他人から認められるようにとか、

スゴイと思われたいとか、

バカにされたくないとか・・

いつも他人目線が動機だったから、

服を選ぶのも、

子育てするのも、

仕事をするのも、

それ、そのものに興味があったり、好きだったりしたのではなく、

それを持つことで、どう評価されるのか・・が絶えず念頭にあった。

 

他人との関係が薄くなり、

新天地で、なにもない個人として過ごし始めて、

自分のしたいように、

どのように思われようとも、

関係性がなくて、

そのまま受け入れられるようになり、

その場所で、生きていくことになって、

私は、迷子になっている。

 

何を着るのも自由。

どう思われようと関係ない。

好きに生きれば?

したいことすれば?

無限の自由を与えられ、

何もしたいこと、

することが見つからず、

檻に入ったかのように、

一日中ずっと、狭いマンションの一室で、

ソファーとベットを行き来して、

毎日を過ごしている。

 

まぁ、自由に使えるお金はない。

だけど、ほんとうにお金が必要なら、必死に働くと思う。

働いてまで、

お金を得て、

それでやりたいこと、手に入れたいもの、会いたい人がない。

つながりたいものがない。

 

ニートの息子たちを見て、

イライラするけど、

その姿は私と一緒だなと思う。

 

だから、腹が立つし、

このままではいけないのでは?と不安になるのだと思う。

 

不安になっても、

息子は息子の人生を

自分自身で生きていくべきで、

私から負の影響を受けてしまって、申し訳ないけれど、

それは、彼の人生。

 

私は、私の人生を充実させるために、

自分のしたいこと、好きなこと、大事にしているものを

一つ一つ、気づいて、

他者視線から、自分中心のちょうどよさを見つけるために、

ゆっくり、気づくよう、

言葉にしていこうと思う。