50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

私はなにが好きなのか?したいのか?

マウンティングの人間関係の中にいて、

他人より勝てる要素でマウンティングするつきあいばかりしていると、

人間関係は、

同じように、マウンティング要素で殴り合えるライバルか、

一方的にマウンティングして上に立つ自分に気持ちよくなれるか

どちらかしか、自分の居場所がなくて、

 

自分の立場が弱くて、

誰かにマウンティングされっぱなしの事態に陥ると、

逃げ帰って、二度とその場に行きたくないし、

そうなりそうな場所には近寄らなくなる。

 

マウンティング要素の弱まった状態では、

引きこもりになるし、

弱い自分をそのまま受け入れるには時間がかかるし、

その状態で、昔のフィールドに出ていくのは無理。

 

そんなこんなで、ひきこもっているんですが、

幸いなことに、

コロナで、昔の友人たちとのおつきあいはしなくていい。

集団で集まることはないし、

そこで評価されてしまうこともない。

 

新天地に引っ越したし、

ド田舎だし、

昔のことを知る人もいない。

ひきこもったり、

新しい自分になるにはうってつけの機会。

 

さぁ、人の目を気にせず、したくないことはしなくていい。

 

お洒落だけど、しんどくなるようなお洒落はしなくていいし、

いつも同じTシャツに、

いつも同じズボンをはいて、

手入れの簡単な、安い美容室で髪を切り、

一番安い化粧水をドンキで買って、

化粧もせずに、

日焼け止めだけして、

マスクと帽子、眼鏡で覆った、挙動不審の身なりでどこでも出かける。

親からもらったおさがりの靴、

かかとが踏みつぶされていて、これでうろうろするのはどうなんだろ~と思いながらも、

綺麗でおしゃれなお友達に会うこともないので、

そんなおばさんだと思ってくれたら、

無理やりな愛想をしなくても、

生きていける。

 

むやみやたらに、話しかけ、社交的な人と思われなくてもいいし、

ルールを最低限守って、

挨拶をきちんとするだけで、

あとは、ほっておいてくれる。

 

私を私と認識してくれる人が周囲にいなくても、

それでも、人は生きている。

 

関係がある人とは、

自分が話したいときは話したいことを話しかければいいし、

なんか、

関係性がないので、心細くもあるけれど、

外国に住んでいたときのような開放感があるのも事実。

 

他人にとやかく言われることがない。

他人に、私の時間や空間を占領されたり、

したくないことを強制されたりしない。

 

何をするか、どう過ごすか、

その選択権は私の手中にある。

 

自由。

何をするのも自由。

 

私の頭の中の他人が目をひそめるような選択も、

自分がしたいなら選ぶことが出来る。

 

自分のしたいこと、好きなこと、

したくないこと、嫌いなこと、

自分の中の判断基準に沿って、

選択できる。

 

したくないのに、嫌いなのに、

したほうがいいから、

そうすべきだからと、

他人目線で、自分の頭の中の他人の意をくんで、

自分を無理やり納得させて、しなければならないことは少ない。

 

したくないけどしなければならないことはあるだろう。

でも、

それは、役割をおりた今までよりは、本当に少ない。

 

今までは、

したいことを我慢して、

好きなことを手放して、

子供のために、家族のためにと、

したくないことを奮い立たせてやってきた。

 

子供たちが巣立つのは寂しいけれど、

そういった煩わしい、しんどい雁字搦めの、

自分の中の、母親はこうあるべき、子供のために我慢すべきといった

枷から自由になれることと同義だ。

 

さぁ、20年間も、無視してきた自分の気持ちと声を聞き取ることを

しなければならないと思う。

 

時間かかるけど、焦らず、自分の声を思い出そう。