50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

訪問介護をやっていてよかったと思うこと

訪問介護のパート、給料が安い。

責任は重い。

リスクも大きい。

人の便の処理しながら、割に合わないなぁ、なんで私がこんな目に・・と思うことは多い。

精神障害生活保護の人と相対して、

彼ら、彼女らに使われる自分が社会の最底辺にいるような気持になることも多い。

 

でも、

身体が動かなくなったり、

精神病んだり、

家族がいなかったり、

孤独で、

たった一人で難しい局面に生きている彼、彼女たちの逞しさに

尊敬の意を持つことも多い。

 

自分だったら、

自分が家族だったら、

前が見えなくなってしまう

彼、彼女たちのように笑ったり、

前向きに淡々と毎日を過ごしたり、

その環境に自分を適応させたりできるだろうか?

 

その難しい環境下で、最適を模索する姿。

自分を適応させる力。

 

初めて家に行くときは、疑心暗鬼。

相手がクレーマーで陥れるような人だったらどうしよう・・とか、

私から収奪するように、

関係を持ったら最後、逃げられない罠をはるような人達だったらどうしよう・・とか、

 

普段の生活では、

面倒なことになりそうで近づかないように気をつけるような人たち。

 

精神障害

宗教や共産、創価の人たち。

お金に困っている生活保護者。

認知症

重度の障碍者

元やくざ。

 

そういった人しかいない世界。

たった一人で、見も知らぬそういったカテゴリーの人の家に行く。

 

結構、怖い。

ド田舎になるほど、生活の深刻さは深まって、

家族がいても、

介護放棄していたり、虐待があったりするから、

公的な支援に結びついている。

そうでない普通の高齢者の生活をみる余裕は、

田舎の介護保険にはもうない。

 

独居

老々介護

そういった、見捨てたら、このまま身動きできなくなってしまう現実なしに

なかなか私達が行くことはない。

 

お金のある自治体、

高級住宅地での家庭状況と全く違う悲惨さが

田舎にはある。

 

普通は嫁がみるもの、

嫁という奴隷がいない現実をなかなか受け入れられない高齢者たち。

その中で、私達の出番になるのだ。

悪気はなくても、自然に、当たり前のように、

自分と対等でない、見下した存在として、

私達を見るし、

セクハラ、パワハラ言動も、

全く悪気がない。

 

そういった中で、ニコニコ働き続けるには、

ある程度、昭和を肌で知っている年配の人しか難しいだろうなと思う。

 

働いているものの中に若者はいない。

年金受給するような年になっても、幸い元気な高齢者たちに交じって、働くことになる。

未来はない。

 

それでも、尚、訪問介護やっていてよかったと思うのは、

売り手市場の安心感。

年をとっても、働けるなら、理不尽に首を切られることはないだろう。

自分の知らなかった世界、

漠然と不安に感じている老後の不安が、現実に目の前の人たちが直面している姿、

対処している姿を見て、参考になったり、知ったりすることが多い。

 

今、私が毎週会っているのは、

同じ年の女性。子供たちも同じくらい。

交通事故で、下半身、上半身の片側が動かない。

車いすや補助具を利用しながら、

生活をしている。

夫とは離婚したばかり。

私と同じ時期に引っ越してきて、

同じようなマンションに住む。

子供たちも巣立ち、

その中で、自分の出来ることは自分ですべてやって、

出来ないことは、先に頭で考えて、

私達のいる時間にお願いすることを決め、指示を出す。

パソコンを使い、公的サービスを調べ、

車いすで電車に乗り、移動する。

同じことを決めるにしても、

私より何倍も障壁が多いのに、

お洒落をあきらめず、

自尊心を傷つけず、

笑顔で穏やかな対応をしてくれる。

 

自分の困難を受け入れ、人を羨んだり、自分を悲劇のヒロインにしたり、

依存したり、ネグレクトしたりすることなく、

淡々と生きている。

 

そういう姿を間近でみれるのは、この仕事の醍醐味だと思う。

 

死を前に、

死ぬぎりぎりまで、

あの人は、こだわりを持って、生きていたな

あ~いう風に生きたいな。

 

グジグジ不満や不安をぶつけて、

大変そうだけど、

それでも人は生き続ける姿とか、

 

認知症になっても失わないその人らしさとか

 

そういった、レッテルだけでは見えない部分。

現実の人としての存在が、

直接私に見えてくる瞬間、

あ~、訪問介護は好きかもしれない・・と思う。