50代からの新しい生活!

子育て、転勤生活ひと段落。夫は定年間近。親の介護目前で、ギクシャク。新天地での新生活は、自分の老後も視野に入れながら、始めます。

個人個人バラバラになった先にあるの

アメリカや中国のネットで世論動向をみていると、

これから、皆内向きになって、

自分の信じたいことを真実として信じ、

外からの意見は届かないんだろうなぁという気持ちになる。

 

日本でも一緒。

パヨクと右翼、どちらも過度に暴走している人たちは、

どんな意見を聞いても

どんな真実が目の前に現れてきても、

自分に都合の良い意見は見なかったことにして、スルーして、

相手の攻撃材料はどんなに小さなことも騒ぎ立て、

絶対に許されないこととして、糾弾する。

 

私も初めは、マスコミの偏りや、

ワイドショーで作りあげられる偏った世論に

真っ向から腹を立てたり、

ツイッターでつぶやいたりしていたのだけれども、

テレビを消して、

彼らの意見を聞かなければ、イライラすることもないし、

そんなことに、自分の時間を使わなくてもいいかなと思うようになってきた。

 

忙しく働いている人たちは、ワイドショーを見る時間もない。

 

これまで、陰に隠れて、マスコミを操って

誘導してきた人たちも、

ずるいことしたら、

どかに証拠が残っていて、

そんなにうまく人々を欺き続けることは出来ない。

 

これまで、

国連が~、外国が~と

やってきた人たちも、

統一教会」のやってきたことが明るみになり、

名前を変えたり、

広告塔としてすりよったり、

政治家にボランティアとして近づいたり、

権威の名義貸しがあったり、

そういった騙す手段が明らかになって、

綺麗な言葉、

宗教やマイノリティ、外国といった不可侵の隠れ蓑、

そういったものが騙しの手段になっていることが明らかになった。

 

ウクライナ戦争で、

憲法や国連や平和といったきれいごとでは、

侵略され、大事なものを守れないことがよくわかったし、

「難民」や「移民」が

侵略の前段階であったり、

情報戦争、複合的な世論操作が行われることが分かったので、

これまでのように、

お花畑で、いい人であれば、皆優しくしてくれる・・ってことにはならないことが良くあかった。

 

民主主義国が衰退し、

暴力や独裁が大手を振ることになっていく世界。

 

その中で、

先進国に住む私達は何が出来るのか?

 

ITは、貧しい、発展途上の人々の人口ボリュームに

大きな力を与え、

先進国から富を収奪する流れが加速する。

民主主義、人権という建前が、

侵略してくる者たちを排除できず、

やすやすと富を奪われ、

世界を律する力を失わせる。

 

世界は後退していく。

 

その中で、

どうやって、どこを、担えばいいのか?

どう変わるように、祈ればいいのか?

 

国家が崩れ、コミュニティがなくなり、

家族が崩壊した。

残されたのは、ネットにつながるバラバラな個人。

 

その中で、

どういう社会になったらいいな!と願いながら、

日々を送ればいいのだろうか?

 

昔の女性は、家族から自由になりたい!

戦争が終わった時の日本人は、戦争のない世の中になりますように。

 

なにか起こるたび、

誰かが苦しみながら、

何かを求め、皆の願いとなり、それが時間をかけて、解決してきた。

 

今の私達は、

何を願うのか?

 

壊れていく社会を見ながら、

何を残し、

何をあきらめ、

何を新たに得ることを望むのだろうか?

 

私には、まだそれが見えない。

 

SDGsやお花畑な人たちや、欧米かぶれの意識高い系の人たちが

いうことは、

保守的な、これだけは失いたくないと願っている人々から

奪い去るだけで、

あとには、自分たちに関係のない、誰かが喜ぶだけの収奪作用しかない。

 

権威を引きずり落し、

歴史を粉砕し、

統合の象徴を貶め、

それでなにが残るというのだろうか。

 

外側から干渉するために、

個人個人にバラバラにされたけれど、

そのあとには何も残らず、

多様性を理由にぶち壊されたはずが、

残ったのは均質な、たった一つの価値観に染め上げられた

つまらない世界。

 

歴史や地域の固有性からうまれ、引き継がれてきた価値観は、

「多様性」の旗を片手に、

ぶち壊されて、

たった一つの天国を作ることに動員される。

 

それが私達の望んだものだろうか?

 

己を見つめ、

自分の声を聴き、

自分の望みをかなえ、調和しあって生きていく。

そういうふうに生きていきたいのに、

私達はデータになって、処理されて、

顔のない数値となって処理される。

 

そんな世界に生きている。