32歳で結婚し、長男を産んだ。
35くらいで、次男がうまれた。
子供たちの同級生のママ友たちは、
長男の時は、働くママと専業主婦が半々くらい。
次男の時は、専業主婦がマイノリティ。
ほとんどが、結婚や出産を機に、一旦仕事を辞めても、
子供が幼稚園や小学校低学年の頃から、働くことを考えていたり、パートをしていた。
そこそこ、高級住宅地で、教育熱心なお母さんの多い地域だった。
ご主人や実家が太い方が多くて、
毎日の生活のために働くというよりは、
子供の教育におもいっきり、お金をかけたいからとか、
投資とかにまわしたいからとか、
そんな理由の人も多かったけど、
長男の時と次男の時と明らかに違ったのが、
子供のために、家にいてやりたい
子供のためには、仕事で不在にしている時間が長いより、
手厚い子育てを楽しみたい
と思っているような、昔からの価値観が一掃されたことだと思う。
自分がしてもらったから、子供にもしてあげたい。
ただいま~と帰ってきたときに、笑顔で迎えてあげたい
子供の行事にきちんと出てあげたい
そんな昔ながらの「いいお母さん」像への反発。
孤立。
近所のお母さんネットワークもほとんどなくなり、
忙しく、効率よく、駆け回っているお母さんばかり。
井戸端会議での情報交換なんて、
白い目でみられるし、
幼稚園や保育園に子供を預けて、ゆっくりお茶しながら、
情報交換するなんて、
優雅と憧れるよりは、
なんて非効率な生産性のない人たち!と、バッシング対象になった。
主婦の仕事は、
各個人が各家庭で営むもので、
孤独な作業だけれども、
皆が生活するのに、必要なことばかり。
主婦ネットワークの情報交換や流行は、
マウンティング要素や、どろどろした面もあるけれど、
大半は、楽しいものだった。
仕事や勉強で、ずっと、何かの基準で評価され続け、
対価の代わりに、その基準に到達しなければならない視線にさらされ続けてきた
仕事時代とは違って、
世の中のまわっている仕組みやつながりが見えてくる、
そんな楽しさがあった。
ちょうど、私達はバブル世代で、
次男の同級生のお母さんたちは、氷河期世代。
楽しいこと、心が躍ることを、
なによりも優先させてしまいがちな私達と違って、
少し下の彼女たちは、
低リスクで、堅実に、レールを踏み外さないように生きる。
最初から、自分の生活水準を踏み外すような、ちょっと上のキラキラしたものに、
憧れを持つでもなく、
自分には関係ないものとして、線を引き、視界に入れない。
そんなんで楽しいかなぁ?
キラキラ、わくわくがなくて、
生きていて楽しい?と思ってしまうのだけれども、
今の社会情勢、これからの経済状況を考えると、
未来に適応しているのは彼女たちのほうで、
バブリーな感覚のままの高齢者は
世の中の流れに置いていかれるばかり。
「専業主婦」という言葉も、過去のものになるのだろう。
将来なくなっていくとしても、
私は、
子どもの小さい時に、もう存分、べったり一緒に過ごせてよかったと思う。
楽しかった。
ワンオペで、孤立感あって、
気が狂いそうになったけれども、
あの経験が、
私を大きくギアチェンジしたと思う。
「仕事・効率」中心のものの見方から、
「母なるもの」不合理で、非効率的で、でも、そこに、生の意味があり、
社会よりももっと大きな、自然の意味があるという実感。
子供を産んだとたんに、社会から切り離されて、
「恒久的な人類の営み」のような母なる大地に投げ出されたような感じになって、
「母乳」とか「無農薬」とか、「自然」「オーガニック」みたいなものに、
過度に敏感になって、
代替医療とか、SDGsとか、そんなビジネスに取り込まれそうになったり、
騙されそうになったりで不安定になったりもしがちだったけど、
そんな荒波を経て、
自分の見方やポジションも出来ていった。
やはり、それも経験値。
何も経験せずに、
独身の時のヒエラルキーやステイタスにがっつりはまった者の見方しか出来ないまま、
年を取らなくてよかったなと思う。
胸を張りたい。
専業主婦の経験は、私にとって、充実したものだったと・・。