「ミニマリスト」っていう言葉を聞くと、今までは、胡散臭そうな若者が、
なんにもないワンルームで、寒々しい、毎日を送っている言い訳を
自分にするために、
あえて、自分はこの生活を選んでいるといって、
しがらみもないけれど、
人脈も、生きている意味も、物語もない、宙に浮いたような個人が
画面に向かって
ブツブツ高説たれている
そんなイメージを持っていた。
「断捨離」も
中高年の女性が、しがらみを断ち切るように、
どんどん物を廃棄していくことにハイになっていく様子をみているようで、
痛々しいなと持っていた。
でも、最近、魅かれてます。
コロナや、ウクライナや
北朝鮮や、中国や・・と、
今までの常識では、判断できない外部要因に翻弄されて、
将来を見越した賢い決断がなかなかしにくくて、
その時正しいと思っても、
あとになって、ひっくり返されたり、
情報が操作されていたりして、
疲れてしまい、
判断することが多いと、アップアップした気分になっています。
テレビをつけると、
ワイドショーは大衆を煽ろうとするし、
ツイッターや検索結果も、
純なふりして、実は、操作されていたりするしで、
信頼のおける判断基準が分からなくなってしまってます。
そんな時は、
テレビを消して、
コミュニティから離れて、
自分自身の感じることに返る・・というか、
自分の内なる感覚に従うのが、
一番後悔がないかな・・と思うのです。
あえて、自分の日常に関係ないことは、判断しない。
関わらない。
情報を入れない。
煽られて、怒り狂って、活動して、
それは正しいの?
誰かに操られていないの?
いいように扇動されただけじゃないの?
無駄なことに、振り回されて、
傷ついて、
正義を暴走させて、
自分自身を消耗させるより、
遮断して、
じっとして、
自分に降りかかってくる火の粉を払い、
自分自身の生活と向き合う。
「あれ買え!」「これが今の流行り」「ここ行け!」「あれ食べろ!」
テレビをつけると、
溢れてくる情報。
興味もなく、見たくもないのに、繰りかえされる韓流押し。
誰かがお金を払い、
誰かの思惑で、
繰り返し流される、ワードや流行。
誰かが儲けたい、
誰かが流行を作りたい、
誰かがウハウハしたい、
そんな思惑で、垂れ流される低品質の情報。
もうおなかいっぱいです。
あ、まただ・・
と、繰り返される度に、辟易してます。
それをしゃべっている、タレントさんの、
お金のためなら、なんでも言うんだな・・という浅はかな仕組みが透けて見えて、
テレビの作り手にも、ただただ
げんなりするばかり。
そういった、作られた過度な情報スプラッシュと対極にあるのだと思う
「ミニマリスト」な生き方。
多分、一番に断捨離すべきは、
テレビから流れてくる、無駄な情報の奔流。
テレビを消す。
それだけで、自分の生活の質は爆上がりする。
一日、ワイドショーを見なかった日は、
心穏やかで、
見知らぬ人に怒りを感じることもなく、
争わない、平和な日々が戻ってくる。
ニュースも一緒。
何を伝えるべきか。
何を伝えずに隠すべきか。
その選択を誰かがやっている時点で、
誰かの主義主張や意見を
自分自身の感じることより優先させていて、
世の中を見る目を曇らせていく。
距離を置く。
自分自身の思考を、自分自身に戻す。
毎日の生活を取り戻す。
シンプルに、
自分に与えられた条件下で、
自分の最適化を尽くし、
自分の人生を全うする。
断捨離して、
ものを少なくし、
本当に、自分の生活に必要な物だけを残し、
自分の心と向き合って生活していたら、
出会う人は少ないし、
出会うものも手の届く範囲だけだし、
極少数の、ごく小さな範囲でしか、
自分は世界と接点を持たず、
影響を受けず、影響を与えることもない。
そんな小さな小さな人生だけど、
それは、
自分の人生であり、
他人の思惑に乗っ取られた偽物の人生ではない。
そんな動きがうまれているんだと思う。
自分の中で‥。
そして、
ある種の人たちの中で。