介護は、プロに任せた方が良い
最近、そんな言葉をよく聞く。
介護士として、
そうだよねという状況もよく見るけど、
心配したくない、
不安を払しょくしたい、
自分が関わりたくないから、エクスキューズとして
使っているのもよく見る。
プロに任せる
といいながら、それに見合った、お金を出すわけではない。
保育も一緒。
面倒くさいことを丸投げする
誰か自分以外に担わせて、
その大変さを理解することも、共感することもなく、
問題が起これば、
プロに任せたのに・・と文句だけを言い、
訴えたり、
自分の権利を侵害したと言い出す。
しかし、自分が24時間、子供や老人を責任を持って
みていたら、
人が人に対して全責任を負うことがどんなに難しいことなのか、
他人のリソースを奪うものなのか、よくわかると思う。
それでも、1対1で見ることも大変なのに、
それを社会的に押しつける。
そこに、効率化を求め、
少ない人数で、多くの人を見るように
奪われるリソースに見合わない賃金で、
誰にでもできる仕事だからという理由で、
弱い人に背負わせようとする。
何事もなければ、
誰でもできる仕事なのだ。
ゆるく、人さえ、そこにいればよいような・・
しかし、
そんな暇な、守られた立場の人は、もういなくて、
むき出しの資本主義の中で、
専業主婦にも、
働け!効率よく、金を稼げ!
稼いだ金は、差し出せ!
税金として、
生きていきたいなら、払え!と、
もうプッシュされている中で、
保育にも、介護にも、
本来、そんなのとは無縁にあるべき場所で、
「効率化」が求められている、そんな中に、
数少ない人を押し込め、置き去りにして、
不平不満のど真ん中で、
人が狂い、ののしりあい、
地獄を見ているそんなときに、
のんきに、外側から、
「僕は素人だから、自分で判断しない。
お金を払って、プロに頼む」とのたまう、上級市民。
部外者のいう「子供」「死にゆく親」という大切なものを、預けるのだから、
最大限、最高の、サービスを与えるべき、
僕たちが何もしないという罪悪感を感じさせるような、
不平不満がでないように、
お客様として扱うべき
傅くべき、
というようなプレッシャーを与えるだけ、与えて置いて、
自分がそのために、払ったものはあまりなく、
微々たる金銭払っただけで、
それが当たり前と思う、権利があると思っている。
そういったことに、疲れ果てて、人々は逃げ去る。
誰もいなくなって、
さぁ、
自分の番になって、
自分の周りに誰もいなくなって、
そして初めて、
あぁ、自分は間違っていた・・と気づくのかな?
ただ、一緒にいてくれるだけで、
しょうがないことは、しょうがないと受け止めて、
それでも、
側にいて、
一緒に悩んで、
一緒に笑って、
一緒に困って
時間や空間を共有する人がいる
それだけで、価値があり、
それだけに、価値があるということに。